面接辞退してる場合か???!!
電話した。
辞退した。
今日は朝から一本の電話があった。
応募したことも忘れていたくらいの企業から
面接日時の設定についての電話だった。
その時はいわれるがままに土曜日の9時30分に
面接の予定を定めた。
その後調べてみると
5月7日に求人サイトから応募していた。
大阪本社の会社だ。
早速検索してみる。
案の定、人の出入りが激しく、
人材を軽く見る傾向がある会社のようだ。
とはいっても、
そういうことに目をつぶっていかなくては
仕事なんて得られない。
でも、今の僕にはそんな状況に飛び込んでいくために
履歴書を書き、面接に臨むだけの勇気も気力もない。
そして先ほど、なけなしの勇気を振り絞り、断りの電話を入れた。
1日中、わさわさとしていた気分が、
面接辞退の意思を伝えたことによって
ちょっと落ち着いた。。。。
なんだこれ??
腐りきっている。
結局働きたくないだけなんじゃん。
こんな生活してちゃいけない。
でも、どうせ辛いなら、なんかもっと別なことに追い詰められたい。
以前に元妻に聞いたことがある。
自分のこれまでを見てて
どの時期が一番輝いていたと思うか?
答えは、セールスドライバーをしていた時だった。
僕は、大卒で入った会社を辞めて、
日本一周したくて金を貯めるために
セールスドライバーとして
心身ともにきつい仕事であったけれど
目標に向かってコツコツと働いていた。
2年ちょっとだけだったから耐えられたんだと思う。
でも、その仕事を始める際の心情は
ものすごく前向きだった。
その後についた仕事はどれも、
今から考えれば後ろ向きだった気がする。
自分の中の覚悟がないまま、
成り行きで就く仕事に決意がなかったのかもしれない。
彼女はそれを肌で感じ、
情けなさとか頼りなさとかを悟っていたんだろう。
もうエントリーしてる会社も
応募を検討している会社もない。
昨日までもそう思って焦っていたけれど、
今日の電話まで自分から可能性を絶ってしまった。
そんなことやってる場合か?????
何考えてんだ?!このあまっちょろい餓鬼中年。。。。
はやくちゃんと考えろ!自立しろ!生きろ!稼げ!外へ出ろ!!!
心が強く動く方向をきちんと見定めなければならない。。。
自然淘汰されない苦しみ
結局今日も何もしない一日。
とうとう家から出ることにも、
顔を洗って着替えすることにさえ、
特別な意味を持つようになってしまった。
その特別な行動をするだけの
動機付けが自分になくなって
毎日ただ何も得るモノがない自分が最も嫌っていた無駄の時間が過ぎていく。
その時間が多くなればなるほど
自分の内面の大切なところが腐っていく。
もうなんかリハビリでもしないと
いきなり社会の戦場にはもどれないのかな、、、、、
そもそも狩りの仕方がわからない、
自然界で言えば生き残れない種類の生き物が
ここまで生き残ってしまったことが問題だ。
人間以外のすべての生き物において、
他の生命との競争に勝てず
自分で自分の食い扶持を確保できないようなモノは
生き残れないんだから、、、、
生活の仕方も
狩りの仕方も
なにも持ち合わせない自分には
自然淘汰されることが通りのはずなんだ。
でも、生かされている。
その生になんか意味があるんかな・・・
夜、風呂に入ると
猛烈に孤独感と焦燥感が襲ってきて
精神的に動揺する。
今日一日がまた、ただなにも動くことができずに終わってしまったことと、
また、明日が来てしまうことへの恐怖。
そして、
なんかしなきゃ、
一歩踏み出さなきゃ、
という気持ちになんの答えも出せない自分のもどかしさ。
年取っても、
パソコンに向かってする仕事や、
誰かが作ったモノをただ売りまくる仕事を
ずっとやり遂げられる気がしない。
今までとは全く違う価値観で
自分を鍛えていきたい。
でもそれがなんなのか分からないし、
模索する努力もできていない。
でも、もうゆっくり探していられる猶予もない。
そのタイムリミットに迫られて、
結局自分が発想できる中での仕事を選ぶしかないんだろうか?
未来に可能性を残すことができる選択肢の末端にでもたどり着きたい。。。。。。。
シナリオのオチが必要なんだ。。。
今日も1日中、ウチで篭って何するでもなく日付が変わる。
ほんとにこの一週間は
どこに出るでもなく、何をするでもなく、だれと会話するでもなく、
ただただ時間だけが無駄に過ぎていった。
前職を辞めて3ヶ月。
生活に対する最低限のルールとか自尊心とか
そういったものも崩れ去り、
バカみたいにテレビ見てネット見てスマホをいじる。
いや、、、完全にバカだな。
すっかり飲み込まれている。
しかも、こんな時間を過ごすのは
これが最初ではない。
2003年に4ヶ月ほど、
2012年に1年あまり、
そして、2015年現在だ。
もっといえば、1998年に日本一周して、
その後長野に移り住み結婚した頃から、
ずっとさまよっている感じだ。
なんでこんなに目標もなくフラフラさまよった人生を送っているのだろう?
どっかで妥協したり
どっかで本気になったり
どっかで運命的な出会いがあったり
そんなタイミングが現れて
自分の暮らしがひとつの方向性を持つもんじゃないんだろうか?
こんな捉えどころのない
じぶんでもわけがわかんない暮らしを
なんで僕がしなきゃいけないんだろう???
僕は宇宙は誰かの体の中だという観念を持っている。
全然脈絡のない話だけれど、これは中学生の理科の時間に抱いた観念で誰かに話しても一人を除いてだれも理解も賛同もしてくれないんだけど。。。。。
原子は原子核と電子が云々かんぬんということを習っていた時に、
僕には宇宙が広がった。
人の体は、いろんなパーツでできていて、それはいろんな細胞からなっていて、
細胞には核があって、それは細分化すれば原子になって、原子は原子核の周りに電子が周ってて、、、、、、
みたいな話だったように思う。
体中のありとあるゆるものをものすごく細かく見ると、
原子核と電子になるなんて、気が遠くなるほどものすごいスケールの話で、
もしかしたらそれは、ひとつひとつが宇宙なんじゃないかと感じた。
宇宙にある無数の星も、その周りをグルグルと回る衛星や惑星でできている。
自分たちが住む地球の周りには月が周り、地球は太陽を周り、その太陽系の外にもどんどんと果てしない宇宙が広がる。
その宇宙も誰かの体内の一部分にすぎず、
その体を持つモノがどこかで暮らしてて、
その空間はまただれかの体内で、、、、、、
そんなふうに考えたら、
自分のこの体の中にも
無数の宇宙があり、
その宇宙に無数の生命体が暮らす。
時間や空間の範囲が全然把握できないけれども、
そんなイメージが僕の中にはずっとある。
そんななかで自分は今、この生を生きていて、
まともに生きられずにいるけれど
毎日生かされている。
まだ見ぬ世界が無限に広がっている。
その欠乏感から、
旅に出たり
山に登ったり
いろんな土地で
いろんな仕事につき
いろんな人と出会ってきたのかもしれない。
でもそれはいつも満たされず、
もっともっととまだ見ぬ何かを追い続けている。
今こうして身動きが取れないのは、
ハローワークや求人転職サイトにある仕事についてスーツ着て勤めるというストーリーを良しとしていない自分がいるからだろう。
自分のシナリオを今この段階での展開として描く時に
もっと面白い笑える何かが欲しいのだ。
でも自分が書くシナリオは
自分から見える範囲の自分の頭にある道筋の中からしか描けない。
それがつまらない。
自分の中の宇宙の真ん中にいる神様との対話の中から、
自分がこれは面白いと思えるようなシナリオを見つけたい。
もっともっと転落してもそれが笑えれば最高なのにな。。。。。
といいつつ、
明日はハローワークにでもいってみようか、、、、、、
自分で自分の時間を生きられない不甲斐なさ
- 作者: 雨宮処凛
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2002/01
- メディア: 単行本
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メモ
いつも本を買うが、
最後まで読む事は少ない。
その本を買うという事は
その内容が自分が欲している内容である事を
半分期待している。
そして本を読み進めるうちに
その内容に納得するにせよ不服であるにせよ
自分に身となる内容である事を楽しむ。
最後までたどり着けない本は、
今の自分にとって出会うべきでない本なのかもしれない。
でも、今回買った本は
一気に最後まで読み進める事ができた。
後に深く考えるために、
ここにメモ書きを残しておく。
後の自分が深く考えるかどうかは
その時の自分が決めれば良い。
p.3
子供には、勤労や納税といった目に見える義務がありません。親や社会に守られながら、毎日を自由気ままに生きています。未来はどこまでも続いていて、自分にはなんでもできるように思える。醜い現実を見なくてすむよう、その目を覆い隠されている。
p.40
答えとは、誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出していくべきものです。他者から与えられた答えはしょせん対処療法にすぎず、なんの価値もありません。
p.44
大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。
p.45
いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです
p.50
「こんなわたし」を選んだのはあなたなのです。
およそ10歳前後だというのが、アドラー心理学の見解です。
p.52
人はいろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽なのであり、安心なのです。
p.53
「幸せになる勇気」が足りていないのです。
p.56
これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない
p.68
自分の短所をみつけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。そうやって自分の殻に閉じこもれば、誰とも関わらずにすむし、仮に他者から拒絶されたときの理由づけにもなる。
p.73
たとえば新聞などを通じて同年代の人間が活躍している姿を見ると、どうしようもない劣等感を抱きますね。
p.78
すべての悩みは対人関係の悩みである
p.83
「成功できない」のではなく、「成功したくない」のだと考えなければなりません。
単純に、一歩前に踏み出すことが怖い。また、現実的な努力をしたくない。いま享受しているたのしみーーたとえば遊びや趣味の時間ーーを犠牲にしてまで、変わりたくない。
p.86
優越コンプレックス
p.88
不幸自慢
自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。
p.89
わたしたちの文化のなかで、誰がいちばん強いか自問すれば、赤ん坊であるというのが論理的な答えだろう。赤ん坊は支配するが、支配されることはない。
p.92
誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです。
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。
p.94
自分が自分であろうとするとき、競争は必ず邪魔をしてきます。
p.96
他者全般のことを、ひいては世界のことを「敵」だと見なすようになる
p.106
怒りとは、しょせん目的をかなえるための手段であり、道具なのですから。
p.107
人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている
p.109
行動面の目標は「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の2つ。そしてこの行動を支える心理面の目標が「わたしには能力がある」という意識、それから「人々はわたしの仲間である」という意識です。
p.111
「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つにわけ、まとめて「人生のタスク」と呼びました。
ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスクです。
p.120
さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました
p.143
自分を変えることができるのは、自分しかいません。
p.154
困難に直面することを教えられなかった子供たちは、あらゆる困難を避けようとするだろう
p.161
ほんとうの自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度なのです。
p.162
自由とは、他者から嫌われることである。
あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。
p.163
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。
p.168
対人関係のカードは常に「わたし」が握っていた
p.185
「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。
p.188
「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」
p.197
ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。
p.201
勉強しなさいと上から命令するのではなく、本人に「自分は勉強ができるのだ」と自信を持ち、自らの力で課題に立ち向かっていけるように働きかけるのです。
p.202
人は、ほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成していくからです。
p.204
ありがとう、感謝
うれしい、喜び
助かったよ、お礼
p.205
人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる
p.206☆
人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。これがアドラー心理学の答えになります。
p.226
共同体感覚を持てるようになること。そこで必要となるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つ
p.229
神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ
p.232
信頼、、懐疑
p.240
交換不能な「このわたし」をありのままに受け入れる自己受容。そして対人関係の基礎に懐疑を置かず、無条件の信頼を置くべきだとする他者信頼。そして、他者貢献とは、、、?
p.242
ありのままの自分を受け入れるーーつまり「自己受容」するーーからこそ、裏切りを怖れることなく「他者信頼」することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」することができる。さらには他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。「自己受容」することができる。
p.243
アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になるとさえ、いわれています。
p.253
幸福とは、貢献感である
p.260
普通であることの勇気
p.264
人生とは、連続する刹那。われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。
p.275
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。
p.276
決めるのは、昨日でも明日でもありません。「いま、ここ」です。
p.278
「一般的な人生の意味はない」
「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」
p.280
「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。
p.283
世界はシンプルであり、人生もまた同じである。
… #読書
自分の居場所も作れない情けないつきあいもない
自立したくて
実家から距離を置き、、、、
今から考えると
その気持ちに伴って
地元から遠いところへ遠いところへと
その住処を移って行ったのかもしれない。
そして気づかないうちに
どんどんと生活に無理がたたって
立ち行かなくなっていた
自立どころか
社会人としての役割も果たせずにいたんだ。
ずっと親には頼らず
ほとんど絶縁状態で
虚勢張って
無理してたんかな、、、、
でもいざとなった時に
実家に助けを請い
それをきっかけに
色んなもんが崩れて
緊張感が切れたようになった。
そして、いま。
自立なんて状態とは程遠い自分。
ここ最近は
外部との関わりも家の中との関わりさえも
ほとんど持てずに
1日一食する以外には
ただ部屋に引きこもって
youtubeにて過ごすくらいだ。
そして、たまに本を読む。
もう諦めと慣れがでてきて、
社会から必要とされていない自分を
受け入れてしまっている。
深夜まで夜更かしして、
朝も遅く、昼にうとうとして、、、、
まったく何の気力もない毎日だ。
生きる目的も気力もなく、
未来も諦めた。
別に自分だけが悪い境遇に置かれているわけでもなんでもないと思うけれど、
自分の精神的な未熟さにこの歳になって愕然とし、
社会のいろんな障壁を乗り越えるだけの強さや心を持っていないんだと思い知った。
その現実をまざまざとしった今、
なんともいえない虚しい毎日だ。
世間や周りから届く、温かいまたは冷たい言葉を聞けば聞くほど、
自分の至らなさとか不適合さとか弱さとかヘタレ具合が露わになる。
そんな自分の人生を
これ以上もう見たくない。
なんでもいいと思えない、
でも何かに向かって頑張れない。
そんな自分は誰かに相談できる悩みもない。
ただ一人、毎日ぼーーーっと過ごすしか許されない。
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