43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

自然淘汰されない苦しみ

結局今日も何もしない一日。

 

とうとう家から出ることにも、

顔を洗って着替えすることにさえ、

特別な意味を持つようになってしまった。

 

その特別な行動をするだけの

動機付けが自分になくなって

毎日ただ何も得るモノがない自分が最も嫌っていた無駄の時間が過ぎていく。

 

その時間が多くなればなるほど

自分の内面の大切なところが腐っていく。

 

 

もうなんかリハビリでもしないと

いきなり社会の戦場にはもどれないのかな、、、、、

 

 

そもそも狩りの仕方がわからない、

自然界で言えば生き残れない種類の生き物が

ここまで生き残ってしまったことが問題だ。

 

 

人間以外のすべての生き物において、

他の生命との競争に勝てず

自分で自分の食い扶持を確保できないようなモノは

生き残れないんだから、、、、

 

 

生活の仕方も

狩りの仕方も

なにも持ち合わせない自分には

自然淘汰されることが通りのはずなんだ。

 

でも、生かされている。

その生になんか意味があるんかな・・・

 

 

夜、風呂に入ると

猛烈に孤独感と焦燥感が襲ってきて

精神的に動揺する。

 

今日一日がまた、ただなにも動くことができずに終わってしまったことと、

また、明日が来てしまうことへの恐怖。

 

 

そして、

なんかしなきゃ、

一歩踏み出さなきゃ、

という気持ちになんの答えも出せない自分のもどかしさ。

 

 

年取っても、

パソコンに向かってする仕事や、

誰かが作ったモノをただ売りまくる仕事を

ずっとやり遂げられる気がしない。

 

今までとは全く違う価値観で

自分を鍛えていきたい。

 

 

 

でもそれがなんなのか分からないし、

模索する努力もできていない。

 

でも、もうゆっくり探していられる猶予もない。

 

 

そのタイムリミットに迫られて、

結局自分が発想できる中での仕事を選ぶしかないんだろうか?

 

 

未来に可能性を残すことができる選択肢の末端にでもたどり着きたい。。。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の大量絶滅を人類はどう超えるか:離散し、適応し、記憶せよ

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