43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

いとこの死

今日は葬式だった

私はまだ無職で今週から新しい職場に入る予定なので、一日中式に参列した。

 

その従兄弟は一つ年上だから53かな?

とにかく若すぎる死だ。

 

かれはとても賢かった。

でもとても精神的に繊細でとにかく社会に適合できなかった。

 

中学高校とそれでもなんとかこなして、

大学へも行った

彼の学力からしたら3ランクも4ランクも下の大学への入学であった

 

その辺りから彼の人生は大きく狂い出した

 

その後国家公務員となったが、

その仕事をこなせるだけの精神的な強さを持ち合わせておらず社会からドロップアウトして、

ほぼ家に引き篭もった生活となった。

 

統合失調症とか適応障害とか

いろんな病名がつけられ

障害者という枠の中に入った

 

幸か不幸か、障害者年金ももらえる

 

でも、そんなのは何の幸せのネタにもならなかった

 

同居する両親に暴言を浴びせ

時には暴力も振るった

 

そんな荒んだ家庭をなんとか治めていたのは

近くに住む彼の姉だった

 

やがて叔父は亡くなり

追って叔母も亡くなった

 

従兄弟はいわゆるマザコンだったのであろう

叔母にあたりちらすことで自分を保っていた

 

その対象がなくなり

精神的にやり場がなくなってしまったのが

彼を早い死へと導いたのか?

 

そんな事を色々考えていると

彼の人生って何だったのか?

叔父叔母の楽しみってなんだったのか?

普段はしっかりしている彼の姉は

今どんなふうに感じているのか?

 

色んな事を考えてしまう

 

私の今回の転職に際して

その姉の方のいとこに色々お願いしてたりして

相談にも乗ってもらったらしてた矢先だったので、

尚更に不思議な時間がそこに流れてた

 

従兄弟はすごくたくさん傷つき

いっぱい悩み、もがきながら生きてきたんだろう

 

私も生きづらさを感じることが多い性格だけれど、彼のことを思うと自分は色んな世界を見て色んな経験をできたことを感謝しなければならない

 

そしてまた、身の回りに起こるいろんな出来事の意味を掘り下げて深く考える事はよそうと思った

 

その事に意味なんてたいしてないんだと

そして、自分も周りの人も良くも悪くもないんだと

 

ただそれを受け入れて

ただ今日を生きていれさえすればいいのだろうと…

 

 

 

とりあえず決まった

2月2日に面接に行った。感触は良かった。

先週のうちに連絡が来るといっていた。

こう言う時は一般的に週の前半で電話連絡が来て内定、、、もしくは週の後半に郵送が届いてお祈りします、、、だと思ってた。

しかしながら、金曜日までにどちらの連絡も来なかった。

とてもショックを受けた。

仕事内容は前職に似ているし、給与も安いが休みは充実している。何にしろ大企業の孫会社なのでグループシナジーが大きいので潜りめるチャンスは大きい。

でも連絡は来なかった。

この1週間、気分はどんどん落ち込み、昼夜逆転する生活。またネガティブな生き方に入ってしまう兆しがあった。

なので今日は朝から起きてマクドナルドで朝マックする事を自分の勝ちと決めて滑り込みで成し遂げた。

そんな祝日の月曜日の朝にたまごマフィンを食べていたら電話が鳴った。

外に出て電話を受けるとその会社からだった。遅ればせながら内定だそうだ。

多分他の内定者が断りかなんか入れたのだろう…

何でもいいや、決まったんだから☻

ホッとしたのと緊張感と色々入り混じる感情のなか、ハッシュポテトを頬張りコーヒーで流し込む。

3月中旬に入社予定。

きちんと対応できるように生活を整え直そう☻

 

 

 

まさかこの歳で失職

昨日、退職を申し出た

もうすぐ52歳になるところだ

 

この1週間で事業撤退にて職場がなくなり

社内の他の部署で働くという話もいただいたが

就労条件が全く異なり噛み合わず

遠回しにやめろと言う事かと感じ退職となった

 

会社の言い分もあるし

自分の気持ちもあるが

どちらにしても新しい自分の居場所を探しにいくしかない

 

何故私はごく普通に働き続けることができないのだろう?

やってる事が間違っているのだろうな…

 

 

パーフェクトデイズ PERFECT DAYS

先日ひさしぶりに映画を見た

感動するとかワクワクするとか

そんなんじゃないけど、

あまりに良すぎて

その日のうちにもう一度同じ映画を見た

 

PERFECT DAYS

 

ポスターには

こんなふうに生きていけたなら

と書いてあった

 

トイレ掃除の話です

 

また見に行きたいと思います

 

 

11、適当に生きる。

このブログの読者の方には大変申し訳ないのですが、私はこのブログの存在を日々の大半の時間で忘れてしまっています。


そんなブログを久しぶりに覗いてみたら、読者として登録してくださっている方が226名ありました。

ホントにありがとうございます。そしてごめんなさい。


当時それほどまでにこのブログにすがりつき、思いを吐露して、皆様に助けていただいた私は今現在、浮き沈みは多少あるものの死のうと言う気持ちはなくごく一般的な健常な市民として生活できていることをここに報告させていただきます。


そして四年前に書き記したネガティヴ生活から脱却への11の項目について最後の記事を残しておこうと思います。


私は年が明けてこの2021年に49歳となります。このブログを書き始めたのが多分6年ほど前なので、一般的には男がバリバリと働き盛りで活躍しなくちゃいけない年代だったのかな?と思います。


でも私には到底無理でした。そして、運良く今の職場に自分のポジションを作ることができたのもラッキーだったなと思います。


給料は、安く不満も沢山ありますが、土日休みで殆ど残業も無く、身体は少々使いますが、対人的なストレスも軽い方の仕事で、総じて恵まれていると思います。


この記事のタイトルは【11、適当に生きる。】としていますが、決して中途半端でいいかげんに生きると言うことでは無くて、ほどほどに身の丈にあった生活で行こうと言う意味です。


ネガティヴな生活にどっぷりとハマってしまう時は、何処かで自分のサイズよりも大きな事をしなくちゃ!と焦っている場合が多いかな?と感じます。

そのズレの分、心が削がれていくような感じがします。知らない間に心は小さく疲弊していき、最後には火が消えてしまうように元気がなくなってしまうんです。


そうやって私は世間から転げ落ちるようにドロップアウトしてしまう生活でした。


だから、いい意味で自分をあきらめることにしました。頑張るのが苦手なので、生きていくために最低限自分ができる事を仕事にしておこうと考えて動くようにしています。


時には楽してていいのか?野望はなくていいのか?競走に勝たなくてもいいのか?って焦ることもあります。


でも、私には私のペースでしか生きていけないことも知っています。


だから世間一般の話は置いておいて、私は私のペースで適当に生きています。


アホみたいに走って、適当に仕事して、安いながらも生活には困らないだけの給料から少しだけ貯金して、残りでたまにランニングシューズを買って喜んで、、、、そんな生活が今のところ自分らしくいられる気がしています。


それは自分が持っていた常識やレールからは逸脱しています。自分が持っていたいわゆる常識を自分で白紙にして違うレールを敷き直すような作業です。


でもそれを受け入れることができた時に、私は楽になれました。


そうやって暫く適当に生きていこうと思ってます。


また、しっかり充電できたならば、人生にチャレンジを持ってくるかもしれません。それは、時間が私に色んな経験や考えをもたらしてくれるものだと捉えてます。


なんか取り止めのない文章となってしまいましたが、流れに乗って適当に生きているのが自分のスタイルなのかな?と思います!





10、できる範囲の仕事は何でもやる

一年と9カ月ぶりの更新です。

 

このブログを購読してくれる皆さん、

そしてココにたどり着いてくれた皆さん、

ありがとうございます。

 

私は何とか生きています。

あいかわらず、走ってます。

お給料はほんの少しだけ増えました。

 

落ち込みそうなことは沢山あるけど、

深みにはまらないようにやり過ごすことを覚えました。

 

今は新しい目標を趣味のランニングで見つけて、今週末から取り組むつもりです。

 

 

人生で最大に落ちまくって、

ただただ負の感情を曝け出すためにこのブログを始めたときは43歳でした。

 

いまは、48歳です。

 

落ちていた気持ちを立て直すために辿った足取りをまとめてきたけれど、途中で途絶えていたので、ここに書き留めたいと思います。

 

 

今回は

10、できる範囲の仕事は何でもやる

です。

 

依存体質からなんとか離れ、

健康な心と体をつくり、

気持ちを立て直し、

生活を立て直すことができました。

 

そして仕事にもつくことができて、

その仕事もここまでなんとか4年程続いてきた。

小さな役職もつき、わずかに給料も上がった。

 

私はこの仕事にありつけた時、

とりあえずできる仕事は何でもやろうと心掛けた。

 

今はその仕事にも慣れてしまって、そんな気持ちはどこかへ行ってしまったけれど、でも、真面目に取り組んできたからそれなりの評価をしてもらえたと思う。

 

どうせゼロになってしまった人生だから、

働けるだけラッキーだし、仕事がなかった時の辛さを思ったら、自分が果たすべき役割がこの世の中にあると言うことにとても幸せを感じることができた。

 

いま振り返ると、生きてきたこの経験は本当にすごくありきたりだけれども、全部コレからの人生の糧となると思う。

 

良いことも悪いことも含めて、全部が私自身だから。

 

そして、自分にできる役割をしっかり果たし続けることが、自分の信用になる。

 

信用って大事だ。

 

信用がお金になるんだと私は思う。

 

 

 

だから、何事も前向きにできる範囲でことに取り組むことが大事なんだろうなぁと思う。

 

 

 

、、、、と、

こんな事を書いても、

普通過ぎて

このブログを読んでいる人には

響かないかも知れない。

 

 

でも、少なくとも

この内容が今の私です。

 

ドロドロの負の感情はだいぶ薄れたと思います。

 

それがこの4〜5年の間に起こった私の中の変化だと思います。

 

 

今後も、ネガティブな感情をできるだけコントロールして、

でも、無理やりあげないでなるべくフラットに過ごしていきます。

9、先のことを考えすぎない。周りのためにお金を使う。

この土日。

 

台風が来ていて、雨も降り続き、

山にも行けないし、走る気もおこらない。

 

とりあえず部屋で筋力アップ。

 

 

 平日仕事をしてても、

考えてることは山のことか走ること。

 

そして、その先にあるのは、

いかに身体を癖のない状態に保てるかということ。

そのために必要な筋肉はどれか?

 

走るという趣味を持つだけで、これだけいろんなことに思いを及ぼすとは思っても見なかった。

 

必然的に、いらんことは考えなくなるし、ネガティブなことに気も向かなくなる。

 

仕事で嫌なこともあるし、イライラすることもたくさんある。

稼ぎも少なく、将来に対する不安も考え出したらきりがない。

 

でも、それに執着することなく、すぐに頭の中が切り替わるようになったのは大きい。

 

だから、気持ちもいつもほぼフラットでいられる。

 

めちゃくちゃ落ち込むこともないし、

めちゃくちゃ高揚することも無い。

 

毎月毎月、行きたい山行や、エントリーした大会があるから、

それに向かっていかに身体を準備するかを考えていると、

いらないことを全く考えないから楽だ。

 

こういうのが普通の精神状態なんだろうか?

とりあえず死のうなんて思わない。

 

たまに、仲間内でネガティブな話が出て、

そういう時に疑いもせずに、

「一回や二回くらい自殺しようと思ったことあるよねーーー」

とか言っても、

 

「え????」

って顔される。

 

私にとってはめちゃくちゃ意外だけど、

普通はみなさんそんなもんなのだろうか?と気づかされる。

 

 

どっちにしても、

将来の計画を立てて歩を進めるのは良いが、

先のことを色々考えて、縮こまって閉鎖的になるのはダメだなと気づかされる。

 

 

 

そして、少し余裕があれば、自分自身のためよりも周りの誰かが喜ぶお金の使い方をしたい。

 

食事でもいい、プレゼントでもいい、イベントでもいい、ウケ狙いでもいい。

周りに笑顔が溢れる環境を自分の少しのお金で作れたら、それは自分にとっても、とてもためになる。

 

明日会う人に、飴ちゃん一つあげるだけでも、笑顔が生まれる。

 

ちょっと無理なお願いする時に、缶コーヒー一つ渡すだけでも、和むかもしれない。

 

 

そしたら自分も心が楽になる。

 

 

あまり先のこと考えずに、すぐ先のことをどうやって楽しくできるか?

今の私には、それくらいの暮らしが一番合っていると思っている。

 

 

『飴ちゃんは世界を救う。』