43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

愛知 長野 長野 栃木、、、、愛知

愛知県で生まれ育った自分は、

2013年の春まで栃木の那須高原にいた。

 

その前は長野県の佐久地域

その前は長野市

その前は東京にも住んでいた。

 

愛知県から、那須高原まで高速を車で向かうと、

小牧ICから、名神を少し走り

中央道に入る。

岡谷で長野道に入り、更埴から上信越道

そして北関東道東北道と乗り継いで那須に至る。

 

休憩なしで順調にいっても7時間はかかるだろう。

 

 

那須から地元に戻ってくる時は、

主だった荷物だけをレンタカーのハイエースに積み込み、

後はほとんどごみ屋さんに持ち込み処分してきた。

 

ほんとにリセットボタンを押した気分だった。

 

帰り道は、

荷物を積んだハイエース

逆のルートを辿ってくる。

 

すると、

途中で暮らしていた土地を通り抜けながら

愛知に向かうことになるのであった。

 

結婚して暮らし始めたのが長野市だった。

一緒にふたりで犬を飼い始めたのは佐久地方の町だった。

その犬を連れて心機一転暮らしていたのが那須だった。

 

その那須の暮らしに幕を引き、

なんとも言えない気分でハイエースを運転しながら、

これまでの人生を”巻戻し”するみたいに

那須から、長野県を通って、愛知に戻ってきたんだ。

 

途中の風景に愛着がありすぎて、

その風景を通り過ぎるたびに涙が止まらなかった。。。

 

 

そして、地元に戻って暮らしたこの2年は、

とても空虚でゼロに戻るというよりも

マイナスから抜け出せないような気分でいる。

 

地元の友達は自分が戻ったのを

嬉しい楽しいといい

20年前と変わらず仲良くしてくれる。

 

山を通して知り合った仲間も

いつも気さくに接してくれる。

 

 

そんな彼らの前では

とても明るくいられる。

 

明るく演じているのかな。。。。。

 

 

でも。

 

自分の人生を巻戻して帰ってきたこの地で、

またゼロからやり直す為にあるべき自分がいないから

とっても空虚な2年だ。

 

 

長野も栃木もとっても住みやすかった。

大切な友達もその土地土地でたくさんできた。

 

そんな大切なものも、全部無くしてしまった。

 

 

地元に戻った僕には、

日本一周してたころの楽観的な自分や、

各土地で暮らしてた自由奔放な自分が無い。

 

ここにはノーマルな枠に納まろうとする自分が

ただ消極的に縮こまっている。

 

 

地元でしっかりと基盤を築いて暮らしている彼らとは

ちがう生活を選んできたんだから、

今更、彼らと同じ枠に戻ろうとしても

色んなところに無理がある。

 

 

だれもなにも押し付けていないのに、

長男という枠にも自分がはまらなきゃいけない

気がしていたから、戻ってきたフシもある。

 

 

結局、なんもかんもノープランだから

いまこうして何も残らず何も生み出せず何も見つけられない。

 

 

 

明日も1日、求人の無い求人サイトを眺めるしか無いのか????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ポジティブ思考の陳腐さ

日付が変わって5月12日。

 

昨日は、19145のアクセスがあった。

それまでの最高値は1209だったし、

一日平均200くらいであったので、

何かの間違いかもしれない。

 

1209のときも何かの間違いかと思ったけれど、、、

 

そん時の記事は、

ネガティブな自分の気持ちを

ただ書きなぐったモノだった。

kokoroda.hatenablog.com

 

 

 

昨日の記事も、

同じような行き詰まった気持ちを

ただ書きなぐった。。。。

 

 

人の不幸は蜜の味

 

記事の内容がネガティブなほど

そのインパクトが強いのか?

 

ネガティブさに共感、同情、反感など

いろんな感情が働くということなのか?

 

 

 以前、、

僕はポジティブ思考を礼賛する向きに

賛同していた。

 

ポジティブの言動からは

ポジティブな行動が生まれ

人生が良い方向に拓けるという主張に

同調していた。

 

そして、そういう思考を大切にし

人生を明るく楽しく過ごしたいと思っていた。

 

気分が暗く落ち込んでいる最近でさえも、

気持ちを強くポジティブに向けられれば

人生が拓けると思い込んでいた。

 

 

でも、その一方で

そこになにか胡散臭いというか

醒めてしまう感情も持ち合わせていた。

 

ポジティブの押し付けは

かえって人を突き落としてしまうのかもしれない。

 

 

ネガティブな文章からは、

人は何も楽しさや面白さは得られない。

 

読んだ人の気分も落としてしまうかもしれない。

 

 

でも、昨日のエントリーで感じたのは、

何かわからないけれど

胡散臭いポジティブさよりも、

自分に正直なネガティブさの方が

何かしらのパワーを秘めているかもしれないということだ。

 

人の心に何かしら響くモノなのかもしれない。

 

みんなどんな人も

少なからず持ち合わせている

ネガティブな心。

 

なかなか心豊かに過ごすことができない

日本という仕組みなのかもしれない。

 

 

僕は登山が趣味だ。

そのために日頃走って体力作りもした。

 

今は、そんな気にもなれないけれど、、、、

 

山を歩くと

昂ぶるでもなく、落ち込むでもなく、

辛い場所も、景色の良い場所も

晴れでも雨でも

なんとなくそれを受け入れ淡々とした気分で居られる。

 

そんな気分になれる山歩きに

心地よさを感じる。

 

 

 

ポジティブな思考って、

実は人の生き方にとって

どこか不自然なのではないだろうか?

 

 

仏教では

この世は、「苦」の世界だといわれるそうです。

苦の原因は「迷い」や「執着心」からくるそうです。

 

そして、「考えすぎない」ことを「悟り」としているようです。

 

 

 

ポジティブ、ネガティブの話とはかけ離れてしまうかもしれないけれど、

悲観的な中に世の中があり、でも考えすぎるなというところに真意があるのかもしれません。

 

心豊かに、心安らかに過ごせるのはしあわせだけれど、

それ以上にポジティブにアクティブに暮らすこともないのかもしれません。

 

 

 

と、、、、、

今現在は心が幾分落ち着いているから

こんなことを考えられるのだろうけれど、

 

こころがわさわさとざわめき出し、

収集がつかなくなった時に

自分の感情が暴走をし始める。

 

 

人に求めず、

自分を信じず、

感情をフラットにして、

日々を淡々と過ごせるようになりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆるす: 読むだけで心が晴れる仏教法話

ゆるす: 読むだけで心が晴れる仏教法話

 

 

 

 

この歳でこの人生、希望なんて持てるはずがない

今週もまたはじまった


ゴールデンウィークの名残の空気も
入れ替わって
外からは
活発なざわめきがまた
感じられるようになった。

それにまた、
焦りと孤独と不安を
煽られる。

前職を辞めて、もうすぐ3ヶ月

次の生き方の
キッカケすら掴めず
寝床でうずくまる毎日だ

次の生き方?
いや、、、、違うなぁ、、、

そんなのもう、10年以上前から
わからないままだな、、、


もっとなんとかしなきゃ、
こことは違うどこかに、、
なんて言いながら
逃げ回ってきて
一貫性もなく、
最後に実家にすがり依存してる。


手に職も無く、
頭に知恵も無く、
資産も財産もなんもない。

誇れる人脈もない。
根性もない。


そんな中年が
自ら切り拓けない道を
どこかの企業に
ぶら下がって
面倒見てもらおう
としてるんだ。


そんな自分が見えるから、
転職なんてしちゃいけないと感じる。


また、迷惑かけてしまうから。。。


働くことへの意識が
極端に低いから、、、



歯がグラグラし、
髪は抜け落ち、
視野は欠けていき、
関節は痛み始め、
内臓はチクチクいたむ。

どんどん老いていく。


こんな中年が
60歳まであと17年しか無くて、
ゼロから
なんの貢献ができる?

いくら財をなせる?

どんな幸せをつくれる?


気がついたら、
知らないうちに、
人生のほとんどの道が
既に決まってしまっていた。

まだ間に合う
まだやり直せる
そう思っていたけれど、
今に至って
目の前にある現実は
絶望的な
明日しかない。


妻、子供、家、車、仕事、趣味、仲間、、、、、、

何一つ、僕には残っていないし、
これから掴めそうもない。


その絶望感の中で、
誰かのためでも無く
ただ自分の為に
生きていく為だけに
仕事を探し
自分には務まりそうもない役割を
なんとかこなしながら、
一年
また、一年と
やり過ごすような人生に
なんの意味があるのか?


こんな風にしか考えられない自分が、
何処かの会社で
役に立つ仕事ができるわけはない。

そんな奴がウソ八百並べた
応募書類を見て
採用したいと思うはずがない。



それがこのありさまだ。
それが自分の現実だ。



儲かる儲からないに関わらず、
没頭できる楽しいこと。

そんなもんは僕には見当たらない。






中年ニート
ここで生かされていても、
なんの楽しみもなく
誰からも頼られない。


なんなんだ?この人生。
自分で自分の人生を
くだらないものに
してしまってる。

仕事どころか、
生きることさえも
うまくできない。


何もかもしたく無い、
ただの廃人が
僕の本当の姿なんだな、、、、、









親子で読む ケータイ依存脱出法

親子で読む ケータイ依存脱出法


顎の痛み

朝起きると

顎に痛みを感じた

 

そういえば

昨日は一言も言葉を発しなかったかもしれない。

 

外にも出ないし

家の中でも会話は無い。

 

起きて寝るまで

テレビとPCとスマホをいじるだけの

完全な頭悪くなるモードだ。

 

 

どこかで見かけた記事には

ビルゲイツもスティブジョブズ

自分の子供には

デジタルデバイスを与えなかったという。

 

真意はわからないが、

無駄な時間をそれに費やしすぎてしまうことを

彼らは知っているからだろう。

 

 

僕らの世代は昔、

ファミコンに熱中したもんだけれど

今のスマホやパソコンは

僕らの人生において

なんの生産性も無い

無駄な時間を奪いすぎる。

 

そしてそこには会話も無い。

 

SNSやその他のツール

誰かとコミュニケーションを取っていても、

そこには重要なコミュニケーションは

ほとんど無いと思う。

 

 

僕の顎の痛みはもっと別なところにあると思うが

だれとも会話をしないほど

社会から脱落してしまった人生を

どうやってまともなモノに戻せるのか?

 

 

僕にはその知恵も勇気も無い。

 

こんなもんで終わりたくないと思いつつ、

その境遇をあっさり受け入れてしまっている自分に

明るい未来は開けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

営業活動を必要悪と感じる

求人を見ていると
多く見られる職種は営業職。

これだけ広く門戸が開いているのは、
企業にとって
営業が必要かつ重要な部分を占めているからだろう。。。。

それに、
やめる人が多いのも
その職種の特徴のような気もする。


先日、トヨタの社長も
最高益をたたき出しながら
口にしていたが、
企業は引き続き
持続的な成長を目指すのだ。


去年の数字よりも、
今年。
今年の数字よりも、
来年。

前の数字を上回り、
常にノルマを達成しつづける。

それが資本主義の
経済活動の根幹なんだ。



僕は、
営業という職業を
最初は
楽しく面白い職だと
感じていた。

しかし、
続けるうちに
悪い事してる気持ちになった。


携帯電話によってさらにそう思う。

人の都合を無視し、
人に嫌われて、
要らないものを売り込んで、
うまいこと丸め込み、
少しでも多くお金を使わせて、
さらに買い替えをさせて、
要らない資源を消費させ、
自分の生活を豊かにする。


その活動に
どんどんと
ストレスと
悪を感じて
その仕事が嫌いになってしまった。


もちろん、
お客様に信頼され、
お客様に必要とされ、
お客様の要望に応え、
お客様の良きブレインとして
活躍できるのが
営業の醍醐味だと思う。


でも、
売り上げ至上主義の下には
強引さと利益優先が
必要とされる。

競争に勝てなければ、
振り落とされ
生活が立ちいかない。


求人を見れば、
不動産関連
人材派遣関連
金融保険関連
の営業が多い。

人員の大量採用、
離職率のイメージ。

会社は儲かりどんどん成長しても、
社員にもお客様にも
何故か良いイメージを持てない。



それ以外の求人にも、
何処か暗さを感じる自分には、
行き場がない。
なにも務まらない。
強く立ち向かう心がない。

身体を動かす仕事、
車を動かす仕事、
手先を動かす仕事。
頭使う仕事。


色々あるけれど、
僕には経歴がない。

なんの下積みもない。
誰にも必要とされてない。


現実に押しつぶされて、
逃げる毎日に
また押しつぶされる。



痛風????

登山が趣味だ。

登山の体力をつけるために

町では走ったりもしていた。

 

でも、今は、

時間が有り余っているのに

そんなことをしてちゃいけないと

へんに行動を抑制し

散歩にすら出歩かない引きこもり。

 

家ではだいたい一日一食。

それ以外は自分でも何してるんだろう?というくらいに、

何もせずじっとしている。

 

そんな生活が続いてもうすぐ3ヶ月。

 

 

体重は減った。

ストレスなのか?季節的なもんか?

 

 

でも、筋力は確実に落ちているだろう。

体の代謝も悪いような気がする。

 

 

足の親指やその他の指先や、膝なんかが

なんとなくボヤーッと痛むような気もする。

 

まさか痛風

 

 

 

自分がまさかそんなもん患うなんて、

信じがたい。

 

 

山に行きたきゃ行けばいいのに。。。。

でも、気持ちよく山を楽しめないから

行こうという気になかなかなれない。

 

 

 

自分の生活を整えること。

 

仕事して、

運動して、

飯食って、

ちゃんと寝て。

余暇を楽しむ。

 

 

 

気持ちと体と生活と。。。。

暮らしを整えて、

心豊かに安らかに過ごしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動きが心をつくる──身体心理学への招待 (講談社現代新書)

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死んだ後って、どうなるのだろう?

死ぬのって怖い。

 

死んだ後のことを考えると

関わってくれた方々への迷惑を考えてしまう。

 

そして死んだ後は自分がどうなるのか?

それが一番怖くて、

死ぬなんて勇気が無い。

 

今すぐ死んでしまって、

何もしなくて良い、何も考えなくて良い。

 

無になれるのであれば、

そうなってしまいたい。

 

 

この先、

歯が抜け、

髪が抜け、

体力が落ち、

肌ツヤはなくなり、

老いていく。

 

それでもなお

必死に生きていくことへの不安。

 

頼るものもなく、

先祖からの託されものを

自分が守りすることもできず、

子孫に受け継ぐこともできず。

 

 

希望も何も無い。

将来がいつも真っ暗だ。

 

 

この先30年も40年も生きる価値があるのか?

 

 

 

死んだ後も多分苦しみは続くんだろう。

 

死に逃げても、同じ苦しみが残って永遠に遠ざかれ無いのだろう。

 

 

宇宙の真ん中にある自分が、

どこに行っても

どんな形であっても、

それが真の宇宙として

自分につながっているんだろう。

 

 

その真の宇宙は普遍的だから、

痛み苦しみ楽しみ嘆きが

永遠にずっとずっと定めのように

ぼくにつきまとってくるんだろう。

 

つきまとうというよりも、

それ自体がぼく自身なんだろう。

 

 

だから死ぬのは怖い。

 

死んでも死んで無いんだから。

 

 

 

今の自分のこの体に託された「生」は

どこに向かうべきなんだろう?

 

 

逃げて逃げて逃げていると思うけれど、

逃げて逃げて逃げた先にあるものは

僕が向かうべき場所なんだろうか?

 

 

首吊って死んだら、

その痛みと苦しみが死後も続くのかな?

 

飛び降りて死んだら、

その痛みと恐怖が死後も続くのかな?

 

死ってなんだろう?

死後ってなんだろう?

 

 

 

死んだ気になればっていうけど、

山に行くことさえできればっていうけど、

少しは蓄えも欲しい、

愛するパートナーと過ごしたい。

 

 

人と関わりたく無い。

でも、人と関わりたい。

 

 

自分の仕事で相手を笑顔にし、

自分の仕事が自分を能動的にしたい。

 

喜び、喜ばれる。

 

 

 

物欲は果てしない。

でもモノは必要か?

 

世の企業のほとんどは、

次に何かを売り込むために

新しい市場を作り続ける。

 

日本のこの成熟しきった世の中で、

新たな市場って

もうなきゃ無いで何も困ら無いモノが多い。

 

これって本当に必要なんですか?

 

 

僕はそういう考え方だから、

その消費活動に加担しきれ無い。

 

本気で売れ無い。

転職活動において、

いつもそれがネックだ。

 

冷めてしまう。

 

この会社のこの事業

本当に世の中に必要なのか???って、、、、

 

 

そりゃ、どんな会社も、どんな仕事も、

みんなそれを通して社会に貢献している。

 

みんなが働いてくれているから、

僕は今ここでパソコン叩いて引きこもっていられる。

 

 

日本という国の経済活動の恩恵を

どっぷりと戴きながら毎日暮らしている。

 

 

僕にそれを否定する権利など微塵も無い。

 

やることやってから意見を述べろ!

 

 

引きこもって、

なんの生産的活動もせず、

社会的責任を果たせ無い奴は

黙って引っ込んでいなくてはなら無い。

 

 

 

働かなきゃ。

なんでも良いからとはいかないけれど、、、、

 

でも、選んでいられる立場でも無い。

 

 

 

仲間と同じ志を共有し、

世のために微力でも貢献し必要とされ、

お客様の幸せを創造し、

提供する側もその事業を通じて成長できる。

 

 

夢のような話、

子供じみた絵空事。

 

 

成長しきれない中年オヤジこども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピーター・パンシンドローム―なぜ、彼らは大人になれないのか (ノン・ポシェット)

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