43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

切り取ったその瞬間が良くてもダメじゃん

昨日みていたテレビで

大阪の日雇い労働者の孤独を切り取った内容をやってた

 

 

身寄りのない高齢者は

生活保護を受けながら

孤独に暮らしていた

 

 

NPO法人の人が

そういう孤立した人たちに声をかけ

集まる場所を提供し

詩をかいたり

絵を描いたり

俳句を読んだりすることによって

世間とのつながりを得て

心をすこしずつ開いていくというような内容。。。

 

 

彼らは大阪を出身とする人たちではなかった。

 

若い頃に妻を亡くしその悲しみをずっとずっとひきずったまま

世間にうまくてきごうできずに

この地区にたどりつき日雇い労働してたり、

 

 

会社での人付き合いがうまくいかずに職を転々として

そこにたどり着いてる人などであった。

 

 

 

その番組は

NPOが提供する集いの場で

彼らが少しだけ心を開き笑顔を取り戻したという

ハッピーエンド風な終わり方をしていた。

 

 

 

何が正解か何が失敗か僕には判断できないし

それは各人がそれぞれ思うところによるのだと思う。

 

 

 

僕は今、何もできないとひきこもって動こうとしていない。

 

山に行きたきゃ山に行けばいいし、

誰かに会いたければ会いに行けばいいし、

地球の裏側に行きたいけれ行けばいい。

 

でも、自分に自分で規制をかけて

あれしちゃいけない

これしちゃいけない

って、やれない理由を作り続けている。

 

 

 

例え今、

「1億やるから好きなことしなさい」

といわれたとしても、

たいしたこともできずに

閉じこもったままだろう。。。。。。

 

そして、万が一、資金を元にして何かを始めたとしても

それが一体全体ほんとに僕にとってハッピーなことなのかどうかは、

自分が自分で納得できるのかどうかによるんだろう。。。

 

 

 

給料が少なくても、

自分が納得いく仕事に就いたとしても、

周りの人から見たその一瞬が

良い選択にみえるだけかもしれない。

 

 

 

 

というか

人のために生きてるわけじゃないんだから、

そのひと時がどうのこうのとか

誰かからどう見えるかとかなんて、

本当はどうでもいいし、意味がない。

 

 

 

自分の心の奥の奥で

気がついているかもしれないその道を

しっかりと手繰り寄せることが大切。

 

 

 

 

でも、それを盾にしてのうのうと暮らすことを

受け入れてしまっちゃいけないんだよなー。。。。