43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

4、自分がやりたい仕事より、やりたく無い事を明確にする

かれこれ200日以上も更新をしていなかったけれど、

未だにポツリポツリとコメントをいただくことがある。

 

検索をしてここにたどり着いていただくようだけれども、

その方々に返す言葉も立場も持ち合わせないので、

ただただありがたくそのコメントに目を通させていただいている。

 

 

さて、今日はなんとなく時間がポッとあいたので、

表題の「4、自分がやりたい仕事より、やりたく無い事を明確にする」

について、つらつらと書いてみる。

 

暗闇を抜け、仕事につき、一年半ほどが経った。

ランや山登りに没頭する日々に充実感を覚えることができるまでになった。

 

暗闇の中で光を見出せずに仕事探しをしていた日々には、

自分の固定観念が大きく邪魔をしていた気がする。

 

文系の大学を卒業し、

これくらいの収入が欲しいと考え、

なんの取り柄もないのに、

仕事を探すとなると、、、、、

 

自分にはスーツ着て、

いろんな人に会って、

自分が納得も好きにもなれないような商品やサービスを

売り歩くという選択肢しかないように思えた。

 

自分はこれまでに、

営業職以外にも、

酪農したり、

ドライバーしたり、

ネット通販の運営したり、

お土産売店で販売をしたり、

と色々な経験をしていたが、

なぜか営業職を探していた。

 

けれども心の奥底では、

それは最も望んでいない職種だった。

 

年収や、経歴から考えると営業職という選択肢をチョイスしてしまうが、

心がそれを頑なに拒んでいるから、面接や履歴書に心が入らない。

 

そもそもこれじゃあダメだよなーーーと思いながら、

職探しをしている。

 

職に就きたいのだが、その職種を拒んでいるのだ。

 

薄々、、、、というか、

はっきりと自分の心に気づいているんだから、

どこかで決断をしなくてはならない。

 

踏ん切りをつけて、

今までの職歴で気持ちの良かった瞬間、

生き生きと仕事をしていた瞬間を、

どうにか思い出そうとした。

 

 

すると、、、、

ホワイトカラーの仕事をすべきだと考えていたのだが、

実は自分は体を動かし、汗をかいていることの方が

気持ちが晴れやかになるよなーーーと、感じた。

 

酪農で牛にもみくちゃにされながらトラクターを走らせていたこととか、

重たい荷物を筋肉に力をみなぎらせて動かしていたこととかが、

楽しかったのだ。

 

販売やネット通販の仕事もそれなりに楽しかったが、

なんというか、、ダイナミックさに欠けていた感じがした。

 

ましてや、営業職にはなんの魅力も感じていなかった。

 

 

心に正直に考え直そう。

年収や、世間体は気にしてはいけない。

 

 

そうやって、職探しを仕切り直すと、

すぐに職にありつけた。

 

 

今、この職に満足かと問われれば、

満足はしていない。

 

収入が低すぎて将来への不安もぬぐいきれない。

 

でも、無職で暗闇にいるよりは、

何百倍も楽しい毎日だ。

 

職場のリーダー的な立場にも推された。

 

少ないながらも貯蓄もでき、

ランの仲間はみるみる増えた。

 

山にも好きな時に行ける。

 

これ以上の贅沢はない。

 

 

自分がやりたい仕事を頭で考えるよりも、

やりたくない事を心に嘘をつかずに明確にして、

それを最優先に考える。

 

これがシンプルで一番の職探しの方法かもしれない。

 

 

少なくとも今の驚くほど楽観的で社交的な自分が取り戻せたのは、

やりたくない事をしないと決めたからだ。

 

 

自分の心に素直に向き合ってみることが、

節目節目ではとても大切なのではないかと感じ、

できるだけそれを大切にしていこうと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、太陽を浴びる、運動をする

新たに働き始めて、ちょうど一年になる。

決して高い給料はもらえないが、

周囲の人に助けられて、毎日楽しく過ごしている。

まさか自分が毎日こんなに笑顔でいられるようになるなんて思わなかった。

 

先日は同窓会があった。

参加した。

 

闇に埋もれていたその前の一年、音信が途絶えていたことをみんな気にかけてくれていた。

とても楽しい会だった。

 

思い返せば、

今年の元旦、とても良い天気になる予報だったので、車で小一時間ほどの山に出向き初日の出を拝んだ。

 

綺麗な元旦の夜明けであった。

綺麗で凛とした初日を体いっぱいに浴びて、心も体も充実感がみなぎった。

 

そのせいかどうかはわからないが、

この一年は本当に気力が充実していたように思う。

 

ネガティブな感情も、とてもうまくコントロールすることができた。

 

ちょうど自宅から職場が東の方にあるので、

朝は朝日を、夕は夕日を眩しいくらいにフロントガラスに浴びながら職場を行き来する。

 

この太陽のパワーを毎日もらうような生活もとても良かったと感じている。

 

そして、今の職場に通い続ける限り、

このパワーは自動的にいただき続けることができる。

 

 

太陽は、気力を充実させる。

太陽は、体を覚醒させる。

太陽は、無償でエネルギーを振りまいてくれる。

 

ありがたい。

 

そして、趣味も充実していた。

 

好きな山登りに加え、その体力作りにと始めたランニングも楽しめた。

 

地元のランニングクラブにも入れてもらい、新しい仲間もたくさんできた。

 

休日には、山に行き、山に行けなければウチの周りを走る。

 

太陽を体いっぱいに浴びながら、自然の中で流す汗はとても気持ちがいい。

気分的にも身体的にも、とても高揚してくるのを感じる。

 

 

結果として、精神的体力的な衰えや不安を感じることなく一年を過ごすことができた。

 

 

 

太陽を浴びて、

外を歩く。

 

 

 

ここから始まった、この一年の私は、その前の一年が嘘のように活動的になれた。

 

 

もうすぐ2017年。

今度の元旦も快晴となるといいなあ。

 

2、暗さの後ろに隠れていても、人生は開けない

「鬱の症状が見られる。。。」

 

鬱とは診断されないが、

後ろ向きな考え方しかできず

沈んだ気持ちがずっと続いていた頃

クリニックでそう言われ、

さらに沈んだような気持ちとともに

少しホッとしたような気持ちも心に浮かんだことを覚えている。

 

こんなに苦しいのは、病気のせいなんだ。

物事に前向きに取り組めないのは、心が疲れているからなんだ。

 

そういう風に、病気の陰に隠れて、自分を休ませる理由ができたように思えたからだった。

 

そして、仕事にも積極的になれず、

趣味にも打ち込めず、

どんどん心が荒み、

行動が後ろ向きになり、

ついには仕事も辞めてしまった。

 

その一連の行動にも、

自分で自分を慰めるように、

自分は病気なんだと理由付けをしていた。

 

本当に病気だったのか、

ただ甘えているだけだったのか、

今でもはっきりわからないけれど、

病気の陰に隠れていれば、なんでも正当化できる気がした。

 

でも私はそこから早く抜け出したかった。

 

人と楽しく会話して

積極的に身体を動かし、

楽しく過ごすのが自分らしいと思っていた。

 

 

暗さの後ろに隠れているのはある意味楽であるが、

それによって自分が得することは何もないように感じていた。

 

だから、人生を楽しむために、

好きなことを楽しむために、

できることをしてみようと考えられるようになった。

 

とにかくなんでもいいから、

暗さから解放されたくて、

そのためにできることを少しずつしてみようという思いに

だんだんと変化していった。

 

1、誰かに依存しても、自分の生き方を導いてはくれない

堕ちている時、私はなかなか前向きになれなかった。

活躍できる仕事さえあれば、
素敵な奥さんがいれば、
可愛い子供がいればと、
ありもしない自分の周りの状況を憂い、
他力でそれが変わればいいのにという夢のような考え方にすがっていた。

友達に相談に乗ってもらったり、
身内に長々と話ししたり、
クリニックで先生にすがったり、、、、

でも、誰も解決の答えは持ち合わせていなかった。
その場で自分の気持ちが少し落ち着いたり、薬をもらって少し安心したりしても、

根本的に自分自身の考え方や
周囲の状況が一変しないかぎりは、
何も解決しないんだ。

薄々それに気がついてはいるものの、
自力で切り開く勇気も根気も
無くしてしまっていたので、

ただ毎日が過ぎていき、
その無駄に過ぎ去る毎日に
また落ち込むという日々。

いまから考えれば、
自分が友達から相談を受けたとき、友の声に耳を傾けることはできても、それに答えて生き方を導いたり、生活費を工面したり、仕事を斡旋したりということは、なかなかできるものではない。

それに気がつき、次のように考えた。

病院、薬、カウンセリング、他人に悩みを打ち明ける、といったたぐいの他力本願の解決方法は、無いんだ。

自分自身が変わって、自分自身が次の場所へと向かわなければ、いつまでたっても楽しく生きられない。

誰も私の正しい生き方を知らないし、だれも私を正しい生き方へとは導いていくことなんてできないのだ。

そして、一時的に悩みは一層深まっていった。

しかしながら、自分で決めて自分で進むしか道はなかった。


近況

このブログは、自分の為だけに自分の感情を吐露し、あわよくば誰かに救いの手を差し伸べてもらえはしないか?という気持ちで綴っていた。


しかしながら、その依存の心こそが自分の状況をより深刻にしている様に思えた。

友達に相談し、メンタルクリニックにも行き、カウンセリングを受け、家族にも支えてもらった。

しかし、そのどれもが症状を改善させる効果はあるのかもしれないが、自分の環境を変えてくれるものではないことに気がついた。

根本的な問題は、他人に頼れるものではない。自分でどうにかしないと何も良くならない。

依存体質をやめ、自走できる人間にならなければ、誰かが救ってくれるものではない。

そう考えた時に、このブログの意味はなくなった。


そのまま放置して、これまで一年五ヶ月近くが経過しているのに、未だに月に3〜4件のコメントが入り、読者登録までしてくれる人がいる。

他人のことなど全く考えずにただ書き殴っていたこのブログであるが、最近になって人の役にたつように何かできないだろうか?と考えるようになった。


このブログを訪れてくれる人は、多分すごくネガティヴなワードを検索していてたどり着く人が多いと思う、、、、、

しかしながら、そんな大変な状況なのに私の事を気遣い、応援するようなコメントを、残してくれる人がいる。

その人自身の近況に照らし合わせ、同情してくれる人がいる。

身の上話を始めて、寄り添ってくれる人もいる。


そんな数多くのコメントは、全て拝見させていただいたのだか、私はそれに答える言葉を持ち合わせていなかったので、放置するしかなかった。


でも、どこかのタイミングで自分のその後を晒し、それが誰かの役にたつのであれば、このブログを残しておいた意味があるのかも知れないと考えるようになった。


おかげさまで、現在私は、少ない給料ながらも毎日楽しく仕事し、週末には大好きな山を楽しめる状況となった。

余暇にはユーチューブで、吉本新喜劇を見倒し、腹を抱えて笑っている。

友人とは定期的に食事し、他愛もない話をグダグダ続けている。


暗いネガティヴな思考しかなかった状況から脱却し、仕事に就き、趣味を楽しみ、人と明るくコミュニケーションが取れるようになった。

そんな、自分の足取りを次の項目にまとめておきたいと思う。

今後どうなるか分からないが、もしまた堕ちてしまったら、ここを見に来て自身を勇気付けたい。




1、誰かに依存しても、自分の生き方を導いてはくれない

2、暗さの後ろに隠れていても、人生は開けない

3、太陽を浴びる、運動をする

4、自分がやりたい仕事より、やりたく無い事を明確にする

5、家族、友人、恋人、お笑いに感謝

6、無の心、自走

7、調子にのる。調子にのりすぎない。

8、全力で遊ぶ

9、先のことを考えすぎない。周りのためにお金を使う。

10、できる範囲の仕事は、なんでもやる。

11、適当に生きる。

自ら命を絶つことができた人を羨ましくおもう弱さ

夜みんなが寝静まり、

テレビを消し

風呂に入ると

いつも心がギューーーーってなる

 

 

仕事してる人たちには怒られそうだが

日曜の夜はそれがさらにひどい

 

 

 

平日になって世間が通常に動くということは

自分にも何かしら行動する術が増える気がするからだろうか??

 

 

 

でも、実際は何もできずにまた終わるだろう。。。

いや、自分でそう決めているんだろう。。。

 

 

 

最高に心の締め付けがキツくなると

消えて無くなってしまうのが正しいと感じる

 

 

誰にも何にも役に立てず、

穀潰しし周囲に心配をかけるだけの存在は

居るより居なくなる方が結果的に良いと思うのだ。

 

 

すぐにそこの鴨居にロープをかけて頭突っ込んでぶら下がるだけなのに。。。。。

 

そんな簡単なことすらできないやつは

何も克服できない。

 

自ら命を絶つという簡単なことさえできない。。。。

 

 

自殺できた人を羨ましいと思う。

 

 

 

 

ぼくにはそんな大それたこと

到底できないから。

 

 

 

 

 

 

 

福島で原発が”ばーーーーーっん”ってなったとき、

僕は100km離れたところで、配信映像を見ながら

 

「あーーーーーーー終わったな。。。。。」

と思った。

 

東北自動車道からは車が消え、

観光地には人の姿が消えた。

 

別荘地からは人が逃げ出し、

被災地からは人が流れ込んできた。

 

 

僕の心は空虚になった。

 

 

 

 

 

それでも人はみんな生きていく。

だれもその道を捨てようとはしない。

そこまで来た道を、その後も淡々と歩いていく。

 

 

その冷静で力強い姿は、僕にとって驚異的だった。

 

 

 

みんなの力強さに、僕は圧倒され

こんな世の中には太刀打ちできないと悟った。

 

 

そして自分の弱さに気がついた瞬間、

耐える機能を失ったような感覚になった。

 

 

生きていくには強さが必要だ。

 

 

自身にあった推進力はどこかに失せ、

背信背信背信の生き様。

 

 

 

強がったり、明るく振舞っても、

そんなメッキはすぐに剥がれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

素の自分は、誰の役にも立てないどころか

迷惑かけるだけの厄介もんだ。

 

 

 

誰かに一瞬の魔法で、煙に変えてもらいたい。

”ふぁっ”って煙になって、

風が吹いたら誰の記憶からも消えてしまいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放射能と原発の真実 (veggy Books)

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劣等感のかたまり

人と争うことや
競うことが嫌い

でも、人と関わらずに
暮らすことはなかなか難しい


まして、今の世の中、
知らなくてもいい情報は
次から次へと
押し寄せてくる


ネットで発信される情報は
限りなくリアルタイムで
その現状を知らせてくる


見なきゃいいのに、
そこから離れたかったのに、
もう関係ないのに、、、、



別れた妻には
何も残せず、
ほったらかしたことに、
罪悪感をずっと持ってる。

これが罰なんかな、、、、


彼女は一人で犬を飼い続け、
その生活を続けるために
自分で仕事を作り出し、
その仕事を少しずつ広げ、
自分の世界を築き上げてる。

ものすごい努力の賜物。
そして、ここで生きていくという決意の強さ大きさ。


素直にカッコいい。

強さが羨ましい。



僕には、
これで生きていく!
これが大好き!
これだけは負けたくない!
なんてもんがひとつもない。

打ち込めるもんがないから、
毎日、漂うようにぼーっと生きてる。

これだ!という、
閃きやときめきみたいなもんが、
人生に全くない。

感性が錆び付いてるんかな、、、、




人の事を羨み、自分のことを蔑むばかりの毎日

争わないことにして、戦いから逃げてる劣等生。

放り出されたのは、俺なんだな、、、、、、















ぜったい離婚!から素敵な夫婦三昧―妻と夫のカウンセリング

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