昨日みていたテレビで
大阪の日雇い労働者の孤独を切り取った内容をやってた
身寄りのない高齢者は
生活保護を受けながら
孤独に暮らしていた
NPO法人の人が
そういう孤立した人たちに声をかけ
集まる場所を提供し
詩をかいたり
絵を描いたり
俳句を読んだりすることによって
世間とのつながりを得て
心をすこしずつ開いていくというような内容。。。
彼らは大阪を出身とする人たちではなかった。
若い頃に妻を亡くしその悲しみをずっとずっとひきずったまま
世間にうまくてきごうできずに
この地区にたどりつき日雇い労働してたり、
会社での人付き合いがうまくいかずに職を転々として
そこにたどり着いてる人などであった。
その番組は
NPOが提供する集いの場で
彼らが少しだけ心を開き笑顔を取り戻したという
ハッピーエンド風な終わり方をしていた。
何が正解か何が失敗か僕には判断できないし
それは各人がそれぞれ思うところによるのだと思う。
僕は今、何もできないとひきこもって動こうとしていない。
山に行きたきゃ山に行けばいいし、
誰かに会いたければ会いに行けばいいし、
地球の裏側に行きたいけれ行けばいい。
でも、自分に自分で規制をかけて
あれしちゃいけない
これしちゃいけない
って、やれない理由を作り続けている。
例え今、
「1億やるから好きなことしなさい」
といわれたとしても、
たいしたこともできずに
閉じこもったままだろう。。。。。。
そして、万が一、資金を元にして何かを始めたとしても
それが一体全体ほんとに僕にとってハッピーなことなのかどうかは、
自分が自分で納得できるのかどうかによるんだろう。。。
給料が少なくても、
自分が納得いく仕事に就いたとしても、
周りの人から見たその一瞬が
良い選択にみえるだけかもしれない。
というか
人のために生きてるわけじゃないんだから、
そのひと時がどうのこうのとか
誰かからどう見えるかとかなんて、
本当はどうでもいいし、意味がない。
自分の心の奥の奥で
気がついているかもしれないその道を
しっかりと手繰り寄せることが大切。
でも、それを盾にしてのうのうと暮らすことを
受け入れてしまっちゃいけないんだよなー。。。。