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43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

ポジティブ思考の陳腐さ

日付が変わって5月12日。

 

昨日は、19145のアクセスがあった。

それまでの最高値は1209だったし、

一日平均200くらいであったので、

何かの間違いかもしれない。

 

1209のときも何かの間違いかと思ったけれど、、、

 

そん時の記事は、

ネガティブな自分の気持ちを

ただ書きなぐったモノだった。

kokoroda.hatenablog.com

 

 

 

昨日の記事も、

同じような行き詰まった気持ちを

ただ書きなぐった。。。。

 

 

人の不幸は蜜の味

 

記事の内容がネガティブなほど

そのインパクトが強いのか?

 

ネガティブさに共感、同情、反感など

いろんな感情が働くということなのか?

 

 

 以前、、

僕はポジティブ思考を礼賛する向きに

賛同していた。

 

ポジティブの言動からは

ポジティブな行動が生まれ

人生が良い方向に拓けるという主張に

同調していた。

 

そして、そういう思考を大切にし

人生を明るく楽しく過ごしたいと思っていた。

 

気分が暗く落ち込んでいる最近でさえも、

気持ちを強くポジティブに向けられれば

人生が拓けると思い込んでいた。

 

 

でも、その一方で

そこになにか胡散臭いというか

醒めてしまう感情も持ち合わせていた。

 

ポジティブの押し付けは

かえって人を突き落としてしまうのかもしれない。

 

 

ネガティブな文章からは、

人は何も楽しさや面白さは得られない。

 

読んだ人の気分も落としてしまうかもしれない。

 

 

でも、昨日のエントリーで感じたのは、

何かわからないけれど

胡散臭いポジティブさよりも、

自分に正直なネガティブさの方が

何かしらのパワーを秘めているかもしれないということだ。

 

人の心に何かしら響くモノなのかもしれない。

 

みんなどんな人も

少なからず持ち合わせている

ネガティブな心。

 

なかなか心豊かに過ごすことができない

日本という仕組みなのかもしれない。

 

 

僕は登山が趣味だ。

そのために日頃走って体力作りもした。

 

今は、そんな気にもなれないけれど、、、、

 

山を歩くと

昂ぶるでもなく、落ち込むでもなく、

辛い場所も、景色の良い場所も

晴れでも雨でも

なんとなくそれを受け入れ淡々とした気分で居られる。

 

そんな気分になれる山歩きに

心地よさを感じる。

 

 

 

ポジティブな思考って、

実は人の生き方にとって

どこか不自然なのではないだろうか?

 

 

仏教では

この世は、「苦」の世界だといわれるそうです。

苦の原因は「迷い」や「執着心」からくるそうです。

 

そして、「考えすぎない」ことを「悟り」としているようです。

 

 

 

ポジティブ、ネガティブの話とはかけ離れてしまうかもしれないけれど、

悲観的な中に世の中があり、でも考えすぎるなというところに真意があるのかもしれません。

 

心豊かに、心安らかに過ごせるのはしあわせだけれど、

それ以上にポジティブにアクティブに暮らすこともないのかもしれません。

 

 

 

と、、、、、

今現在は心が幾分落ち着いているから

こんなことを考えられるのだろうけれど、

 

こころがわさわさとざわめき出し、

収集がつかなくなった時に

自分の感情が暴走をし始める。

 

 

人に求めず、

自分を信じず、

感情をフラットにして、

日々を淡々と過ごせるようになりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆるす: 読むだけで心が晴れる仏教法話

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