43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

手紙

きみへ

 

こういう場合になんて書き始めたらいいのかわからないけれど、

まず、いままでありがとうと言わなくちゃいけないね

みつけてくれてありがとう、
出会ってくれてありがとう、
好きになってくれて、
色々無理してくれて、
たくさん感謝しています

 

僕もこれまでいくつもの出会いと別れを繰り返し、離婚も経験してきました。
その度に相手に対して、「好きだ」「愛している」と伝えてきた。

でも結果として、冷めてしまったり、憎しみや怒りさえも覚えてしまったり、、、、


きみにも「好きだ」「愛してる」って何度伝えてきたかわからないくらいだけど、
きみに「愛してる」って言葉をかけると、
今まで思った事も無いような感情が湧いてきた。

それを僕はいつもきみにも言ってきたけれど、
「愛してる」がとても薄っぺらなものに感じてしょうが無かったんだ。

 

どうしてなのか?
それをいつもいつも考えていた。

 

ぼくがきみを好きな理由、、、、、
それはきみが僕にしか見せない面を沢山作ってくれたからだと思う。

それは、きみが抱えていた闇の部分に、
光を照らして救ってあげたいという気持ちや、
きみの支えとなってしんどい時に包んであげたいと言う気持ちで、
きみに接するようになって、
きみのことが愛おしいと思い、
それにきみも応えてくれたんだと思っています。

でも、その結果、僕がリードして導いてあげなくちゃという気持ちが強くなり過ぎてしまったんかな?
きみを逆に押さえ込んでしまうようになってしまったね。

だからといって、
それに「yes」と言ってくれないきみのことを
嫌いになったりとか冷めてしまったりとか
そんな事は一切感じない。

たとえ、きみが僕を嫌いになってしまったとしても、
僕のきみを愛おしく思う気持ちは変わらない。

そういう意味で、今、ぼくがきみに感じている「愛してる」は
これまで使ってきた「愛してる」と
違う意味を持つんだろうなと思っています。

そもそも、「愛」って不変なものなんだろうね。
前にもよく話していたけれど、
宇宙の繋がりとか
輪廻転生とか、
そういうものの中心にあるものが「愛」なんだろうね。

それをきみに出会って感じる事が出来て、
ぼくはとても幸せに思っています。

時折、しばしば、よく、、、
きみは僕をちゃんと見てくれなくなっちゃうときがあるね。
疲れちゃうんだよね。

仕事と家庭で神経をすり減らし、
その上で恋愛でパワーを使ってしまえば、
バッテリー切れちゃって当然だよね。

本当は僕が充電してあげなくちゃいけないはずなのにね。
ゴメン!

こないだあった時、きみはとても困りきったような見た事も無い顔をしてた。
キラキラが全くなかった。
ぼくがきみをそこまで追い込んでしまっていることが、悲しかった。


どんな内容でもいいから、ドキドキワクワクしながら送っていたメールが
いつのまにかプレッシャーにかられて送らなくてはいけないメールになってしまったり、
キラキラきらめいて逢いたいという気持ちで家を出てきてたデートも、
ノルマみたいに会わなきゃいけないものになってしまっていたね、、、、

メールの量や会う回数が、ぼくときみの好きの度合いみたいに考えて、
止まらなくなっちゃってた。
自分でもそれは感じていた。

一度おれは、きみの事を思って、格好つけて、「今日は早く休んでね」といい
その日はメールしなかった。
それが理由かどうかはしらないけど、きみはそれを不審に感じていたみたいだった。

それからぼくは、できるだけ自分の行動をきみが把握できるようにメールした。
そして、それが減っていった時に、きみはそれを感じて、
ボクの好きの気持ちが減ったと考えるんだろうなと思っちゃった。

変な話だ。。。。

きみは以前、
「あなたは今、好きだ好きだと言ってくれるけれど、それはいつかは冷めてしまうものだ」と言っていたね。

ぼくは今でも、そんな事って無いよねと思っていて、
それは「愛」の話にも繋がるのかもしれないけれど、
言葉でそれをきみに伝える事が出来なくて、
その分押し付けがましい愛の形になってしまったのかもしれない。

そして、きみを苦しめた。

正直言って、なんでこんな風にきみを困らせてしまうのかわからないけれど、
先日きみに会って、きみの表情を見て、きみのために僕がとるべき行動をもう一度考え直さなくっちゃって思ったんだ。

きみをずっと愛し続ける事。
きみをずっと大切にすること。
その意味を考え直す事にした。

ぼくの希望的な考えもあるんだろうし、
きみはそれを否定的に思っているのかもしれないけど、
ぼくはきみが近い将来、きみの正義の為に離婚すると思っている。

でも、そんなことはどうでもいいし、
僕の人生が端から見てアホらしいものであっても、
ぼくが愛しつづけると決めた人はきみだから、
きみをこれからも大切に思って生きていく。

そして必ず一緒に生きていくと決めいてる。

でもね、、、、
ぼくは聖人君子じゃないので、
私利私欲、不満、妬み、見返り、、、、、いろんな感情が邪魔をしに来るんだよね、、、、

そういうのに邪魔されるたびに、
きみをいっぱいいっぱいにしてしまい、追い込んでしまう。

難しいね。

その度に、きみは辛くしんどく、切なくなっちゃって、
終わりにしよう、、、、
わかれよう、、、、
と言うんだよね。

きみは、ちゃんとしていたい、真面目でいたい、そんな気持ちが強いからね。
でも本当は色んな世界が見たい、、、でも怖い、、、、
そんな葛藤が大きくなって「パン!」ってはじけちゃったときに、
強うそうでじつは繊細なきみが壊れちゃう。

きみには地獄の毎日だもんね。
でも地獄に仏とも言うね。
心が落ち着かない、地獄の中でも、信じるものがあればきっと最後はうまくいく。
だからぼくはずっときみの味方でいたいよ。

僕が愛するのはきみで、
きみとうまくいかないので他の人とか、
きみと別れて、別の恋愛というものではないと思っているからね。

もちろん僕もきみと同じように、
不審も不安も山ほどあって、きみから嫌がられるかもとか、
未来はあるのか?とか考えてしまう。

きみを大切に思うあまりに行き過ぎてしまう事がたくさんある。

色んな壁が沢山沢山現れる。

結婚、離婚、不倫、とかいう現実的な問題は、
決して避けては通れない難しい話だけれど、
最終的な所で、ぼくにとっての真実はきみです。

これが一生懸命に考えてたどりついたぼくの答えです。

それはきみの状況とか、きみの気持ちとか、
そんなのによって変わる事の無いもの。

ぼくが一生をかけて愛し、大切にしたい人がきみです。

ひどい病かな、、、
病がエスカレートすると、心の毒がどんどん溢れてしまうから気をつけなくちゃね。

僕の気持ちは変わらない。

だから、きみは感情のままに、
怒ったり、泣いたり、笑ったり、喜んだり、してくれればいいんだよ。
そしてそんなきみがいるから、きみの子供達も幸せなんじゃないかな。

それってすばらしい状況だよね。
みんなHAPPYだからね。

きみの廻りがHAPPYな世界が、きみにとってもHAPPYだもんね。

そんな他利な志を自分の喜びとできる人間になりたいな、、、、、

ぼくがきみに出会った理由は、
神様がぼくをもっといい男にしようとしてくれているのかもしれない。
心をコントロールしてこの課題をクリアできたら、ご褒美をくれそうだ。

それには相当の精進が必要で、大変なことだろうけど、
ぼくがきみにそんな気持ちを持てるってことが、
まず第一に、ぼくにとって素敵な事だとも感じています。

そんな気持ちを大切にして、
これからもきみに接していきたいんだ。

そして、そのうち、きみもぼくのことを愛おしく感じてくれたら、
それは最高にしあわせな二人だね。

足りない所を補いあえる最高のパートナーになろう!
そして、日本全国に二人で足跡を刻んでいこう!

そうやって歳を重ねていけたら、
死ぬ時にこころから微笑んで逝けそうだ。

同じお墓で手をつないで眠ろうね。

きみにはいつもキラキラしていて欲しい。
きみにはいつも心安らかであってほしい。

きみは十年程前に自分の人生を終わらせたって言ってた。
でも山に行って何かが変わったって言っていた。
ぼくは人生なんて自分で終わらせるもんじゃないし、楽しむべきだと考えている。
きみは自由だし、たのしく生きることを自分で決められる。
決めるのはきみ。決めるのは神様。

こころからそう願っています。
そして心からありがとう。
きみを愛しています。