43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

劣等感のかたまり

人と争うことや
競うことが嫌い

でも、人と関わらずに
暮らすことはなかなか難しい


まして、今の世の中、
知らなくてもいい情報は
次から次へと
押し寄せてくる


ネットで発信される情報は
限りなくリアルタイムで
その現状を知らせてくる


見なきゃいいのに、
そこから離れたかったのに、
もう関係ないのに、、、、



別れた妻には
何も残せず、
ほったらかしたことに、
罪悪感をずっと持ってる。

これが罰なんかな、、、、


彼女は一人で犬を飼い続け、
その生活を続けるために
自分で仕事を作り出し、
その仕事を少しずつ広げ、
自分の世界を築き上げてる。

ものすごい努力の賜物。
そして、ここで生きていくという決意の強さ大きさ。


素直にカッコいい。

強さが羨ましい。



僕には、
これで生きていく!
これが大好き!
これだけは負けたくない!
なんてもんがひとつもない。

打ち込めるもんがないから、
毎日、漂うようにぼーっと生きてる。

これだ!という、
閃きやときめきみたいなもんが、
人生に全くない。

感性が錆び付いてるんかな、、、、




人の事を羨み、自分のことを蔑むばかりの毎日

争わないことにして、戦いから逃げてる劣等生。

放り出されたのは、俺なんだな、、、、、、















ぜったい離婚!から素敵な夫婦三昧―妻と夫のカウンセリング

ぜったい離婚!から素敵な夫婦三昧―妻と夫のカウンセリング


切り取ったその瞬間が良くてもダメじゃん

昨日みていたテレビで

大阪の日雇い労働者の孤独を切り取った内容をやってた

 

 

身寄りのない高齢者は

生活保護を受けながら

孤独に暮らしていた

 

 

NPO法人の人が

そういう孤立した人たちに声をかけ

集まる場所を提供し

詩をかいたり

絵を描いたり

俳句を読んだりすることによって

世間とのつながりを得て

心をすこしずつ開いていくというような内容。。。

 

 

彼らは大阪を出身とする人たちではなかった。

 

若い頃に妻を亡くしその悲しみをずっとずっとひきずったまま

世間にうまくてきごうできずに

この地区にたどりつき日雇い労働してたり、

 

 

会社での人付き合いがうまくいかずに職を転々として

そこにたどり着いてる人などであった。

 

 

 

その番組は

NPOが提供する集いの場で

彼らが少しだけ心を開き笑顔を取り戻したという

ハッピーエンド風な終わり方をしていた。

 

 

 

何が正解か何が失敗か僕には判断できないし

それは各人がそれぞれ思うところによるのだと思う。

 

 

 

僕は今、何もできないとひきこもって動こうとしていない。

 

山に行きたきゃ山に行けばいいし、

誰かに会いたければ会いに行けばいいし、

地球の裏側に行きたいけれ行けばいい。

 

でも、自分に自分で規制をかけて

あれしちゃいけない

これしちゃいけない

って、やれない理由を作り続けている。

 

 

 

例え今、

「1億やるから好きなことしなさい」

といわれたとしても、

たいしたこともできずに

閉じこもったままだろう。。。。。。

 

そして、万が一、資金を元にして何かを始めたとしても

それが一体全体ほんとに僕にとってハッピーなことなのかどうかは、

自分が自分で納得できるのかどうかによるんだろう。。。

 

 

 

給料が少なくても、

自分が納得いく仕事に就いたとしても、

周りの人から見たその一瞬が

良い選択にみえるだけかもしれない。

 

 

 

 

というか

人のために生きてるわけじゃないんだから、

そのひと時がどうのこうのとか

誰かからどう見えるかとかなんて、

本当はどうでもいいし、意味がない。

 

 

 

自分の心の奥の奥で

気がついているかもしれないその道を

しっかりと手繰り寄せることが大切。

 

 

 

 

でも、それを盾にしてのうのうと暮らすことを

受け入れてしまっちゃいけないんだよなー。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちーちゃんと、かつこさん

これまでに暮らした土地で

たくさんの人によくしてもらって

知らない土地でも

楽しく過ごさせてもらった。

 

 

僕は不思議とおばさま受けが良く、

いろいろ世話をしてくれることが良くあった。

 

 

その中でも、今でも会いたいなと思う人が二人いる。

 

長野でお世話になった「ちーちゃん」と

那須でお世話になった「かつこさん」だ。

 

二人とも明るくて、誰からも慕われる

そしてすごく安心できる頼りになる存在だった。
 
そしてふたりとも誰かに迎合しない強さと自由さがあった。
 
 
 
かつこさんは、定年で退職される時期に立ち会うことができた。
 
かつこさんはみんなに慕われていたから、
その退職の際にはこれまで見たこともないくらいに
それはそれはみんなから素敵な送り出しを受けた。
 
送別会も盛大に催され、
普段は飲み会に参加しないような人も是非と言って参加するような賑やかな会だった。
 
 
とても自由に振る舞い、
こびへつらうこともなく、
でも淡々と、そしてにこやかに
日々を暮らしていた。
 
そんな生き方にみんな共感し、憧れもあったんかな?
 
僕もかつこさんの大ファンで、
退職された後も、ご自宅に呼んでもらって
何度かお茶をしながら、いろんな相談に乗ってもらったもんだった。
 
 
 
 
ちーちゃんはとにかくムードメーカーだった。
 
そして、いろんな気遣いをしてくれる人だった。
 
 
 
ちょっと元気がなさそうな人がいれば、
食事に誘ってくれたり、
 
なにかちょっとしたことで手伝ったりすると
すぐにお礼にと簡単ではあるがプレゼントしてくれるような人だった。
 
施すことが好きな人だったから、
逆に周りからもいろんな形で徳が戻ってくるような人だった。
 
 
 
そして二人とも、とにかく明るい人だった。
 
もちろん文句や愚痴っぽいこともいうけれど、
ネチネチしてなくて、
そしてすぐに切り替えて、
ケセラセラ〜とでも歌い出しそうな感じで明るい振る舞いに戻るんだ。
 
 
 
僕は、このふたりのように、
かっこ良く明るく生きたいなーって思う。
 
 
明るさは世界を救う、
そして明るさは強くて格好いい。
 
 
 
 
 
 
 
 
ちーちゃんとかつこさん。
 
また会って、食事したいな〜。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これを排除したら応募できる求人はゼロだよ

今んところ

ハロワも含め、

求人サイトを見る気分にもなれず

日々、なすすべなし。

 

 

きれいごとじゃなく、

僕だって本当に一生懸命働きたいんだ。

 

自分の役割を果たしていると自分で納得したいんだ。

 

 

 

 

目に入る求人には

自分のこれまでの経験則からいって、

良さそうなのには罠がある。。。。

応募できそうな条件は使い捨て。。。。

 

というのが見えてくるからだ。

 

 

ブラック企業の見分け方という動画にもあるが、、、、

https://youtu.be/d2f0wnQAisA?t=44m35s

 

 

まさしく、世にある求人のほとんどが

人が辞めてしまうから出されているわけで、

しかも、

やめたきゃ辞めればいい

また新しい人を雇えばいい。

 

誰でもいいんだ安く人手を確保できれば。。。。。

 

 

という案件ばかりだと思う。

 

 

 

ブラック企業の実名公表が

ニュースで話題になっていたけれど、

大企業に限っても

全く意味がないでしょう。

 

 

 

そもそも中小企業にまで拡大したら、

もうブラック認定してリスト化する作業だけでも

膨大で立ち行かなくなることが明白。

 

 

 

でも、何から何までブラックだ!と言いだしたら

たしかに中小企業の経営は直ちに切迫してしまうだろう。

 

それに、中小企業の経営に関しては(大企業でもそうかもしれないけれど)

採用、人事、経営などマネジメントに関するノウハウが

ほとんどないのが問題なんだと思う。

 

各自が気をつけてなんとかするとか、

頑張ってこの状況を乗り切るとか

とにかく能がない。

 

 

企業としてのマネジメント能力の欠如に気がついていないし、

それの必要性にも気がつかずに、

これまでそうだったからとか、社員の人間性、精神論に頼り

簡単に人を使い捨てにする仕組みが出来上がってしまっている。

 

 

 

求人エージェントがたくさんあって

ネットで手っ取り早く人を集められるのも

現代の人材の流動化の原因でもあるでしょう。

 

 

 

部下を管理、育成できない上司。

人材をそだてられない企業経営。

利益の確保を人件費削減で行う商売。

 

 

 

 

 

こういうのって日本だけの問題なんだろうか?

 

 

 

 

働くことに希望を持てない理由は、

どこかの会社に入るということが

自分の人生を搾取されることのような気がしてしょうがないから。。。。

 

 

人を騙し、

人の神経を傷つけ、

人の将来に責任が持てない経営者は、

企業規模を拡大しないでください。

 

 

 

でも、世の中のたくさんの中小企業が

世の中のたくさんの家庭の家族の食卓を下支えしているんだよね。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よき経営者の姿 (日経ビジネス人文庫)

よき経営者の姿 (日経ビジネス人文庫)

 

 

突き放してくれる愛情

僕は独りで悩んでる
転職を繰り返す人生


自分で強い気持ちを持ち
自分で責任感のある暮らしをしなきゃいけない


でも、
自分に負け
自分に甘え
逃げ守り打開できない


もし自分の事を
決死の覚悟で愛し
叱咤激励し
突き放してくれる存在が
いてくれたらなぁと思う事もある。


どん底とも思える試練を
共に乗り切り
後々そんなこともあったねと
笑って話せるパートナーが、、、、


でも、
これまでにも
そんなチャンスは
幾度もあった。

それを自ら反故にして
今の状況を 自分で作り出したんだ。


今更そんなこと思うなんて、
ほんと自分はどうしようもなく
身勝手で馬鹿だな、、、、

なんだろ?
なにかに依存しすぎてる




感謝と決意が大切





口でただ綺麗な言葉を
並べ連ねるだけで、
なんの決意もない


みんな呆れ果てて
誰も見向きもしない自分に
自分でもがっかりだ




面接辞退してる場合か???!!

電話した。

辞退した。

 

 

今日は朝から一本の電話があった。

応募したことも忘れていたくらいの企業から

面接日時の設定についての電話だった。

 

その時はいわれるがままに土曜日の9時30分に

面接の予定を定めた。

 

その後調べてみると

5月7日に求人サイトから応募していた。

 

大阪本社の会社だ。

 

 

早速検索してみる。

 

案の定、人の出入りが激しく、

人材を軽く見る傾向がある会社のようだ。

 

 

とはいっても、

そういうことに目をつぶっていかなくては

仕事なんて得られない。

 

 

でも、今の僕にはそんな状況に飛び込んでいくために

履歴書を書き、面接に臨むだけの勇気も気力もない。

 

 

そして先ほど、なけなしの勇気を振り絞り、断りの電話を入れた。

 

 

1日中、わさわさとしていた気分が、

面接辞退の意思を伝えたことによって

ちょっと落ち着いた。。。。

 

 

なんだこれ??

 

 

腐りきっている。

 

 

 

結局働きたくないだけなんじゃん。

 

 

こんな生活してちゃいけない。

 

 

 

でも、どうせ辛いなら、なんかもっと別なことに追い詰められたい。

 

 

 

 

以前に元妻に聞いたことがある。

 

自分のこれまでを見てて

どの時期が一番輝いていたと思うか?

 

 

答えは、セールスドライバーをしていた時だった。

 

 

僕は、大卒で入った会社を辞めて、

日本一周したくて金を貯めるために

セールスドライバーとして

心身ともにきつい仕事であったけれど

目標に向かってコツコツと働いていた。

 

2年ちょっとだけだったから耐えられたんだと思う。

 

 

でも、その仕事を始める際の心情は

ものすごく前向きだった。

 

 

 

その後についた仕事はどれも、

今から考えれば後ろ向きだった気がする。

 

自分の中の覚悟がないまま、

成り行きで就く仕事に決意がなかったのかもしれない。

 

 

彼女はそれを肌で感じ、

情けなさとか頼りなさとかを悟っていたんだろう。

 

 

 

 

 

もうエントリーしてる会社も

応募を検討している会社もない。

 

昨日までもそう思って焦っていたけれど、

今日の電話まで自分から可能性を絶ってしまった。

 

 

 

 

そんなことやってる場合か?????

何考えてんだ?!このあまっちょろい餓鬼中年。。。。

 

 

 

はやくちゃんと考えろ!自立しろ!生きろ!稼げ!外へ出ろ!!!

 

 

 

 

 

心が強く動く方向をきちんと見定めなければならない。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わが子を就活難民にしないため親ができること

わが子を就活難民にしないため親ができること

 

 

自然淘汰されない苦しみ

結局今日も何もしない一日。

 

とうとう家から出ることにも、

顔を洗って着替えすることにさえ、

特別な意味を持つようになってしまった。

 

その特別な行動をするだけの

動機付けが自分になくなって

毎日ただ何も得るモノがない自分が最も嫌っていた無駄の時間が過ぎていく。

 

その時間が多くなればなるほど

自分の内面の大切なところが腐っていく。

 

 

もうなんかリハビリでもしないと

いきなり社会の戦場にはもどれないのかな、、、、、

 

 

そもそも狩りの仕方がわからない、

自然界で言えば生き残れない種類の生き物が

ここまで生き残ってしまったことが問題だ。

 

 

人間以外のすべての生き物において、

他の生命との競争に勝てず

自分で自分の食い扶持を確保できないようなモノは

生き残れないんだから、、、、

 

 

生活の仕方も

狩りの仕方も

なにも持ち合わせない自分には

自然淘汰されることが通りのはずなんだ。

 

でも、生かされている。

その生になんか意味があるんかな・・・

 

 

夜、風呂に入ると

猛烈に孤独感と焦燥感が襲ってきて

精神的に動揺する。

 

今日一日がまた、ただなにも動くことができずに終わってしまったことと、

また、明日が来てしまうことへの恐怖。

 

 

そして、

なんかしなきゃ、

一歩踏み出さなきゃ、

という気持ちになんの答えも出せない自分のもどかしさ。

 

 

年取っても、

パソコンに向かってする仕事や、

誰かが作ったモノをただ売りまくる仕事を

ずっとやり遂げられる気がしない。

 

今までとは全く違う価値観で

自分を鍛えていきたい。

 

 

 

でもそれがなんなのか分からないし、

模索する努力もできていない。

 

でも、もうゆっくり探していられる猶予もない。

 

 

そのタイムリミットに迫られて、

結局自分が発想できる中での仕事を選ぶしかないんだろうか?

 

 

未来に可能性を残すことができる選択肢の末端にでもたどり着きたい。。。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の大量絶滅を人類はどう超えるか:離散し、適応し、記憶せよ

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