43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

シナリオのオチが必要なんだ。。。

今日も1日中、ウチで篭って何するでもなく日付が変わる。

ほんとにこの一週間は

どこに出るでもなく、何をするでもなく、だれと会話するでもなく、

ただただ時間だけが無駄に過ぎていった。

 

前職を辞めて3ヶ月。

 

生活に対する最低限のルールとか自尊心とか

そういったものも崩れ去り、

バカみたいにテレビ見てネット見てスマホをいじる。

 

いや、、、完全にバカだな。

すっかり飲み込まれている。

 

 

しかも、こんな時間を過ごすのは

これが最初ではない。

 

2003年に4ヶ月ほど、

2012年に1年あまり、

そして、2015年現在だ。

 

もっといえば、1998年に日本一周して、

その後長野に移り住み結婚した頃から、

ずっとさまよっている感じだ。

 

 

なんでこんなに目標もなくフラフラさまよった人生を送っているのだろう?

どっかで妥協したり

どっかで本気になったり

どっかで運命的な出会いがあったり

そんなタイミングが現れて

自分の暮らしがひとつの方向性を持つもんじゃないんだろうか?

 

 

こんな捉えどころのない

じぶんでもわけがわかんない暮らしを

なんで僕がしなきゃいけないんだろう???

 

 

 

僕は宇宙は誰かの体の中だという観念を持っている。

全然脈絡のない話だけれど、これは中学生の理科の時間に抱いた観念で誰かに話しても一人を除いてだれも理解も賛同もしてくれないんだけど。。。。。

 

原子は原子核と電子が云々かんぬんということを習っていた時に、

僕には宇宙が広がった。

 

人の体は、いろんなパーツでできていて、それはいろんな細胞からなっていて、

細胞には核があって、それは細分化すれば原子になって、原子は原子核の周りに電子が周ってて、、、、、、

 

みたいな話だったように思う。

 

体中のありとあるゆるものをものすごく細かく見ると、

原子核と電子になるなんて、気が遠くなるほどものすごいスケールの話で、

もしかしたらそれは、ひとつひとつが宇宙なんじゃないかと感じた。

 

宇宙にある無数の星も、その周りをグルグルと回る衛星や惑星でできている。

 

自分たちが住む地球の周りには月が周り、地球は太陽を周り、その太陽系の外にもどんどんと果てしない宇宙が広がる。

 

その宇宙も誰かの体内の一部分にすぎず、

その体を持つモノがどこかで暮らしてて、

その空間はまただれかの体内で、、、、、、

 

 

そんなふうに考えたら、

自分のこの体の中にも

無数の宇宙があり、

その宇宙に無数の生命体が暮らす。

 

 

時間や空間の範囲が全然把握できないけれども、

そんなイメージが僕の中にはずっとある。

 

 

 

そんななかで自分は今、この生を生きていて、

まともに生きられずにいるけれど

毎日生かされている。

 

 

まだ見ぬ世界が無限に広がっている。

 

その欠乏感から、

旅に出たり

山に登ったり

いろんな土地で

いろんな仕事につき

いろんな人と出会ってきたのかもしれない。

 

でもそれはいつも満たされず、

もっともっととまだ見ぬ何かを追い続けている。

 

 

今こうして身動きが取れないのは、

ハローワークや求人転職サイトにある仕事についてスーツ着て勤めるというストーリーを良しとしていない自分がいるからだろう。

 

 

自分のシナリオを今この段階での展開として描く時に

もっと面白い笑える何かが欲しいのだ。

 

でも自分が書くシナリオは

自分から見える範囲の自分の頭にある道筋の中からしか描けない。

 

それがつまらない。

 

 

自分の中の宇宙の真ん中にいる神様との対話の中から、

自分がこれは面白いと思えるようなシナリオを見つけたい。

 

もっともっと転落してもそれが笑えれば最高なのにな。。。。。

 

 

 

 

といいつつ、

明日はハローワークにでもいってみようか、、、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙シナリオからのメッセージ

宇宙シナリオからのメッセージ

 

 

自分で自分の時間を生きられない不甲斐なさ

毎日寂しい悲しい
涙が出る。

でも、きっとその涙は誰かからの同情を寄せてもらうためのものかもしれない。一人でいるからその涙は何の意味もない。


また、、、、毎日、イライラする。
ため息をついたり、雄叫びをあげたり、、、、


でも、その怒りは他の誰かに訴えて怒っている事を見せつける事で相手を支配しようとしているのかもしれない。
一人でいると、それはただの一人芝居だ。


引きこもっている身には、喜怒哀楽の感情は何の意味も持たず、対人関係のない暮らしは、感情がなく表情も必要なくなる。


そしてそんな暮らしは、思考も行動も感情もない。
つまり、生きてるという実感も意思もない。


誰かに助けてもらいたいと思っても、自身はその助けてもらった人生をまともに生きられる自信はなく。

自分で自分の人生を切り開いていくだけの、方向性や責任感もなく。


誰かからの何かを働きかけを待っているのに、それを良しとせず、自らで自らの時間を生きたいのに、これまでの失敗や不安に潰され、結局なにをどうしたいんか、お前は何なのか、バカみたいな事をずっとずっと考えて、ちゃんと生きていない無駄な毎日。


なんでもいいから、現実的な仕事をするという生き方。

いま、そこに落ち着いたら、自分で自分の自由を奪うということ。


夢や希望のある挑戦的な本当の時間を見つけ出すという生き方。

自由なんてたいそうな自立と責任を背負いこむことができない消極的なこころ。



土日休みで、趣味に没頭するという、それだけできればいいや、、、、

なんて甘いこと考えたとしても、それすら実現しないけど、そういう「普通」でいることに収まることが、ほんとは楽で都合良いと考えている自分をどこまで認めるか?どこまで排除するんか???



そしてまた、生きることがとても面倒に感じるのです。
でも、これは頼りたくても頼れないこともわかっている、ぼくにしか解決できない問題。

誰か助けてくれ。












自殺のコスト

自殺のコスト


メモ

いつも本を買うが、

最後まで読む事は少ない。

 

その本を買うという事は

その内容が自分が欲している内容である事を

半分期待している。

 

そして本を読み進めるうちに

その内容に納得するにせよ不服であるにせよ

自分に身となる内容である事を楽しむ。

 

 

最後までたどり着けない本は、

今の自分にとって出会うべきでない本なのかもしれない。

 

 

でも、今回買った本は

一気に最後まで読み進める事ができた。

 

 

後に深く考えるために、

ここにメモ書きを残しておく。

 

後の自分が深く考えるかどうかは

その時の自分が決めれば良い。

 

 

 

 

p.3

子供には、勤労や納税といった目に見える義務がありません。親や社会に守られながら、毎日を自由気ままに生きています。未来はどこまでも続いていて、自分にはなんでもできるように思える。醜い現実を見なくてすむよう、その目を覆い隠されている。

 

p.40

答えとは、誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出していくべきものです。他者から与えられた答えはしょせん対処療法にすぎず、なんの価値もありません。

 

p.44

大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。

 

p.45

いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです

 

p.50

「こんなわたし」を選んだのはあなたなのです。

およそ10歳前後だというのが、アドラー心理学の見解です。

 

p.52

人はいろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽なのであり、安心なのです。

 

p.53

「幸せになる勇気」が足りていないのです。

 

p.56

これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない

 

p.68

自分の短所をみつけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。そうやって自分の殻に閉じこもれば、誰とも関わらずにすむし、仮に他者から拒絶されたときの理由づけにもなる。

 

p.73

たとえば新聞などを通じて同年代の人間が活躍している姿を見ると、どうしようもない劣等感を抱きますね。

 

p.78

すべての悩みは対人関係の悩みである

 

p.83

「成功できない」のではなく、「成功したくない」のだと考えなければなりません。

単純に、一歩前に踏み出すことが怖い。また、現実的な努力をしたくない。いま享受しているたのしみーーたとえば遊びや趣味の時間ーーを犠牲にしてまで、変わりたくない。

 

p.86

優越コンプレックス

 

p.88

不幸自慢

自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。

 

p.89

わたしたちの文化のなかで、誰がいちばん強いか自問すれば、赤ん坊であるというのが論理的な答えだろう。赤ん坊は支配するが、支配されることはない。

 

p.92

誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです。

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。

 

p.94

自分が自分であろうとするとき、競争は必ず邪魔をしてきます。

 

p.96

他者全般のことを、ひいては世界のことを「敵」だと見なすようになる

 

p.106

怒りとは、しょせん目的をかなえるための手段であり、道具なのですから。

 

p.107

人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている

 

p.109

行動面の目標は「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の2つ。そしてこの行動を支える心理面の目標が「わたしには能力がある」という意識、それから「人々はわたしの仲間である」という意識です。

 

p.111

「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つにわけ、まとめて「人生のタスク」と呼びました。

ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスクです。

 

p.120

さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました

 

p.143

自分を変えることができるのは、自分しかいません。

 

p.154

困難に直面することを教えられなかった子供たちは、あらゆる困難を避けようとするだろう

 

p.161

ほんとうの自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度なのです。

 

p.162

自由とは、他者から嫌われることである。

あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。

 

p.163

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。

 

p.168

対人関係のカードは常に「わたし」が握っていた

 

p.185

「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。

 

p.188

「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」

 

p.197

ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。

 

p.201

勉強しなさいと上から命令するのではなく、本人に「自分は勉強ができるのだ」と自信を持ち、自らの力で課題に立ち向かっていけるように働きかけるのです。

 

p.202

人は、ほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成していくからです。

 

p.204

ありがとう、感謝

うれしい、喜び

助かったよ、お礼

 

p.205

人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる

 

p.206☆

人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。これがアドラー心理学の答えになります。

 

p.226

共同体感覚を持てるようになること。そこで必要となるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つ

 

p.229

神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ

 

p.232

信頼、、懐疑

 

p.240

交換不能な「このわたし」をありのままに受け入れる自己受容。そして対人関係の基礎に懐疑を置かず、無条件の信頼を置くべきだとする他者信頼。そして、他者貢献とは、、、?

 

p.242

ありのままの自分を受け入れるーーつまり「自己受容」するーーからこそ、裏切りを怖れることなく「他者信頼」することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」することができる。さらには他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。「自己受容」することができる。

 

p.243

アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になるとさえ、いわれています。

 

p.253

幸福とは、貢献感である

 

p.260

普通であることの勇気

 

p.264

人生とは、連続する刹那。われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。

 

p.275

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。

 

p.276

決めるのは、昨日でも明日でもありません。「いま、ここ」です。

 

p.278

「一般的な人生の意味はない」

「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」

 

p.280

「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。

 

p.283

世界はシンプルであり、人生もまた同じである。

 

 

 

… #読書 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

自分の居場所も作れない情けないつきあいもない

自立したくて

実家から距離を置き、、、、

 

今から考えると

その気持ちに伴って

地元から遠いところへ遠いところへと

その住処を移って行ったのかもしれない。

 

 

そして気づかないうちに

どんどんと生活に無理がたたって

立ち行かなくなっていた

 

 

自立どころか

社会人としての役割も果たせずにいたんだ。

 

 

ずっと親には頼らず

ほとんど絶縁状態で

虚勢張って

無理してたんかな、、、、

 

 

でもいざとなった時に

実家に助けを請い

それをきっかけに

色んなもんが崩れて

緊張感が切れたようになった。

 

 

そして、いま。

自立なんて状態とは程遠い自分。

 

ここ最近は

外部との関わりも家の中との関わりさえも

ほとんど持てずに

1日一食する以外には

ただ部屋に引きこもって

youtubeにて過ごすくらいだ。

そして、たまに本を読む。

 

 

もう諦めと慣れがでてきて、

社会から必要とされていない自分を

受け入れてしまっている。

 

 

深夜まで夜更かしして、

朝も遅く、昼にうとうとして、、、、

 

まったく何の気力もない毎日だ。

 

生きる目的も気力もなく、

未来も諦めた。

 

 

 

別に自分だけが悪い境遇に置かれているわけでもなんでもないと思うけれど、

自分の精神的な未熟さにこの歳になって愕然とし、

社会のいろんな障壁を乗り越えるだけの強さや心を持っていないんだと思い知った。

 

その現実をまざまざとしった今、

なんともいえない虚しい毎日だ。

 

 

世間や周りから届く、温かいまたは冷たい言葉を聞けば聞くほど、

自分の至らなさとか不適合さとか弱さとかヘタレ具合が露わになる。

 

 

そんな自分の人生を

これ以上もう見たくない。

 

 

 

 

 

なんでもいいと思えない、

でも何かに向かって頑張れない。

 

そんな自分は誰かに相談できる悩みもない。

 

 

 

 

 

 

ただ一人、毎日ぼーーーっと過ごすしか許されない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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やりたくないからできない、やりたいことは、、、、

1997年だったかな?

バイクで日本一周した。

テントにシュラフ

小さいストーブで煮炊きしながら、

毎日野宿しながら周った。

 

北は宗谷岬から

南は石垣島まで

250ccのオフロードにまたがって

各地を走り回った。

 

 

キッカケは、

自分に自信がなかったから。

 

 

 

大学出るまで実家で暮らし、

卒業して就職した名古屋本社の企業で

GW明けから東京支社に赴任した。

 

同期は自分を含めて3人。

 

一人は東京の大学に通っていた2つ年上君。

もう一人は自分の世界を持った同い年君。

 

 

東京赴任した次の日も休みで、

3人で買い物行こうと言って渋谷に出た。

 

よくある話だけれど、、、

そこで僕は完全に東京に飲み込まれた。

 

渋谷の駅のプラットホームから下をみると

ハチ公広場にはスクランブル交差点にまで人が溢れていた。

 

僕は東京君に聞いた。

 

「今日、なんかお祭り???」

 

 

東京君は苦笑いで答えてくれた。

 

「これが普通だよ。渋谷のハチ公だよ。」

 

 

 

それまで、名古屋も、東京、大阪に継ぐ規模の

そこそこ都会だと思っていたけれど、

東京はもう段違いに都会過ぎた。

 

 

それから生活するうちに、

自分の不甲斐なさとか

世間知らず具合とか、

いろんな現実に悲観的になった。

 

 

もっと色んな世界を見たい。

もっと自分に自信をつけた。

 

 

今から考えれば、

ロスジェネ世代?とでもいうのか、

バックパッカーの流行りとか

会社勤めだけが人生じゃ無いよねとか、、、

 

そんな風潮に流されてたんかもしれない。

 

 

セールスドライバーで

お金を貯めて

その後バイクの旅に出た。

 

 

自分なんて探しあてられない

自分探しという名の逃避行だ。

 

 

 

なんのテーマも決めずに

ただ走って、テント張って、飯盒炊爨して、シュラフにくるまって、、、、

 

そんな毎日で、日本全国走り回った。

 

 

やりたいことを思いっきりする。

ぼくにとってはなんの足しにもならなかった。

 

 

 

今、このぼーーーーっとした毎日で、

行き詰まった時に考えるのは旅に出ること。

 

ネパールにいってヒマラヤをまじかに感じようか?とか、

四国にいってお遍路を回ろうかとか、、、、

 

そんな時間の使い方をして、

もう一度自分を見つめ直してみようか???とか、、、、

 

 

でも、一度日本一周の旅に出て

自分を見つめ直すなんて

そんなバカなことなんの足しにもなりゃし無いと感じてしまった僕には、

自分の基盤をしっかり築くこともできないで

時間を自由に使って旅に出ることは

許されない事になってしまった。

 

 

 

仕事に就く事、

稼ぐ事、

社会的役割を果たす事。

 

それができない限りは、

他に何もできない。

 

でも、、、、

俗にある求人サイトで見かける求人から想像できる職は、

僕は単純にやりたくない事なんだと思う。

 

 

じゃあ、何がしたいのか?

 

そこには自分で蓋をしている。

その蓋の中身もなんだか分かりもしなけど、、、 

 

現実的に金がいるとか、スキルがいるとか、コネがいるとか、

色んな理由で言い訳つけて蓋をする。

 

蓋を開けるには勇気が必要で、

多分これまでもずっとずっと勇気がなくって、

現実的に可能な範囲で決着をつけてきたから

今の今までグダグダグダグダ生きてきたんだろう。。。

 

 

 

人はもっとみんな笑っていられる。

人はもっと積極的に動き回れる。

人はもっと人とかかわれる。

 

でも、みんなどっかで何かを失って、

諦めや絶望や見切りをつけて生きている。

 

 

 

 

僕も心を強く持って、

色んなものを受け入れなきゃ

生きていけないんかな、、、、、、

 

 

 

なりたい自分になるには、

自分が変われる勇気が必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンガでやさしくわかるアドラー心理学

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親身になってくれる残酷さ

あーー、もう、ほんとに、、、、

毎日、鼻くそをほじるだけの毎日。


動かなきゃ、
なんかしなきゃ、
探さなきゃ


外に出なくては
ほんとにほんとに
人生どんどん腐ってく。。。


昨日、久々に電話がなった。


以前から、ずっと気にかけてくれている友人からだ。

派遣業を営んでいる。

こんなのあるけど、どうかな?
と声をかけてくれたんだ。

いつも気にかけてくれているのが嬉しい。

けれど、折角声をかけてくれたものの、
断ってしまった。

夜勤の部品検査のバイトだった。

自分のウチからも近く、
欠員が出るのでどうか?
と、
まず自分に話を振ってくれた。


とてもありがたく、
嬉しい話で
なによりも
忙しいなかでも
いつも僕の現状を
気にしてくれてるのが嬉しい。

でも、現実は残酷だなと感じた。

部品検査の仕事を
どうこう言える立場では無いが、
夜間の製造ラインで
働かないか?と
同級生に声を掛けてもらう
その現状に
絶望感というか残酷さを感じた。


どんなに格好つけてたって
もうどうにもならないくらい
馬鹿馬鹿しい生活に
浸かってしまってるのは
よくわかる。

それを
同級生の彼が親身になって
いつも気にかけてくれる。

そして、
なんとか気晴らしにでも、、、、と
社会への接点を提示してくれているのに、
断りを入れる情けなさ。無念さ。


そこには、
自分では何も見えていないのに、
ただ気分として
乗り気になれない、、、
ただそんだけの理由で
その仕事を断る。


バイトでもなんでも、
ここでこうしてうずくまってるより
数倍いいだろ!っ捉えなきゃ、、、、

でも、
永くキッチリと生活したい
その為の職を探したいという気持ちが
全てを中途半端にしてる。


本心は
働くのが怖い

働くのがと言うよりも、

自分の不甲斐なさが怖いんだろう、、、、



彼が親身に考えていてくれるほど、
僕にはそれがありがたくも残酷に響くのです。











親身に聞く

親身に聞く


愛知 長野 長野 栃木、、、、愛知

愛知県で生まれ育った自分は、

2013年の春まで栃木の那須高原にいた。

 

その前は長野県の佐久地域

その前は長野市

その前は東京にも住んでいた。

 

愛知県から、那須高原まで高速を車で向かうと、

小牧ICから、名神を少し走り

中央道に入る。

岡谷で長野道に入り、更埴から上信越道

そして北関東道東北道と乗り継いで那須に至る。

 

休憩なしで順調にいっても7時間はかかるだろう。

 

 

那須から地元に戻ってくる時は、

主だった荷物だけをレンタカーのハイエースに積み込み、

後はほとんどごみ屋さんに持ち込み処分してきた。

 

ほんとにリセットボタンを押した気分だった。

 

帰り道は、

荷物を積んだハイエース

逆のルートを辿ってくる。

 

すると、

途中で暮らしていた土地を通り抜けながら

愛知に向かうことになるのであった。

 

結婚して暮らし始めたのが長野市だった。

一緒にふたりで犬を飼い始めたのは佐久地方の町だった。

その犬を連れて心機一転暮らしていたのが那須だった。

 

その那須の暮らしに幕を引き、

なんとも言えない気分でハイエースを運転しながら、

これまでの人生を”巻戻し”するみたいに

那須から、長野県を通って、愛知に戻ってきたんだ。

 

途中の風景に愛着がありすぎて、

その風景を通り過ぎるたびに涙が止まらなかった。。。

 

 

そして、地元に戻って暮らしたこの2年は、

とても空虚でゼロに戻るというよりも

マイナスから抜け出せないような気分でいる。

 

地元の友達は自分が戻ったのを

嬉しい楽しいといい

20年前と変わらず仲良くしてくれる。

 

山を通して知り合った仲間も

いつも気さくに接してくれる。

 

 

そんな彼らの前では

とても明るくいられる。

 

明るく演じているのかな。。。。。

 

 

でも。

 

自分の人生を巻戻して帰ってきたこの地で、

またゼロからやり直す為にあるべき自分がいないから

とっても空虚な2年だ。

 

 

長野も栃木もとっても住みやすかった。

大切な友達もその土地土地でたくさんできた。

 

そんな大切なものも、全部無くしてしまった。

 

 

地元に戻った僕には、

日本一周してたころの楽観的な自分や、

各土地で暮らしてた自由奔放な自分が無い。

 

ここにはノーマルな枠に納まろうとする自分が

ただ消極的に縮こまっている。

 

 

地元でしっかりと基盤を築いて暮らしている彼らとは

ちがう生活を選んできたんだから、

今更、彼らと同じ枠に戻ろうとしても

色んなところに無理がある。

 

 

だれもなにも押し付けていないのに、

長男という枠にも自分がはまらなきゃいけない

気がしていたから、戻ってきたフシもある。

 

 

結局、なんもかんもノープランだから

いまこうして何も残らず何も生み出せず何も見つけられない。

 

 

 

明日も1日、求人の無い求人サイトを眺めるしか無いのか????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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