43歳無職の嘆き、、、ネガティブログ

40をとっくに超えた中年オヤジです。1年、2年、2年、2年、1年、7年、2年と7社も転々として、また、辞めてしまった。途中に空白期間も何度かあった。結婚もした、不倫した、中古で家買った、別居した、離婚した、鬱になった、ウツはしんどい、実家に戻った、また、不倫した、今度は逆バージョンだった、もう、ズタボロだ、アホな人生だ、、、、、、全部、自分の甘さから、、、、、もう、生きているのが恥ずかしい。そんな自分の恥を晒して不安や焦りをここで吐き出させて貰ってます。ありがとうございます。

顎の痛み

朝起きると

顎に痛みを感じた

 

そういえば

昨日は一言も言葉を発しなかったかもしれない。

 

外にも出ないし

家の中でも会話は無い。

 

起きて寝るまで

テレビとPCとスマホをいじるだけの

完全な頭悪くなるモードだ。

 

 

どこかで見かけた記事には

ビルゲイツもスティブジョブズ

自分の子供には

デジタルデバイスを与えなかったという。

 

真意はわからないが、

無駄な時間をそれに費やしすぎてしまうことを

彼らは知っているからだろう。

 

 

僕らの世代は昔、

ファミコンに熱中したもんだけれど

今のスマホやパソコンは

僕らの人生において

なんの生産性も無い

無駄な時間を奪いすぎる。

 

そしてそこには会話も無い。

 

SNSやその他のツール

誰かとコミュニケーションを取っていても、

そこには重要なコミュニケーションは

ほとんど無いと思う。

 

 

僕の顎の痛みはもっと別なところにあると思うが

だれとも会話をしないほど

社会から脱落してしまった人生を

どうやってまともなモノに戻せるのか?

 

 

僕にはその知恵も勇気も無い。

 

こんなもんで終わりたくないと思いつつ、

その境遇をあっさり受け入れてしまっている自分に

明るい未来は開けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

営業活動を必要悪と感じる

求人を見ていると
多く見られる職種は営業職。

これだけ広く門戸が開いているのは、
企業にとって
営業が必要かつ重要な部分を占めているからだろう。。。。

それに、
やめる人が多いのも
その職種の特徴のような気もする。


先日、トヨタの社長も
最高益をたたき出しながら
口にしていたが、
企業は引き続き
持続的な成長を目指すのだ。


去年の数字よりも、
今年。
今年の数字よりも、
来年。

前の数字を上回り、
常にノルマを達成しつづける。

それが資本主義の
経済活動の根幹なんだ。



僕は、
営業という職業を
最初は
楽しく面白い職だと
感じていた。

しかし、
続けるうちに
悪い事してる気持ちになった。


携帯電話によってさらにそう思う。

人の都合を無視し、
人に嫌われて、
要らないものを売り込んで、
うまいこと丸め込み、
少しでも多くお金を使わせて、
さらに買い替えをさせて、
要らない資源を消費させ、
自分の生活を豊かにする。


その活動に
どんどんと
ストレスと
悪を感じて
その仕事が嫌いになってしまった。


もちろん、
お客様に信頼され、
お客様に必要とされ、
お客様の要望に応え、
お客様の良きブレインとして
活躍できるのが
営業の醍醐味だと思う。


でも、
売り上げ至上主義の下には
強引さと利益優先が
必要とされる。

競争に勝てなければ、
振り落とされ
生活が立ちいかない。


求人を見れば、
不動産関連
人材派遣関連
金融保険関連
の営業が多い。

人員の大量採用、
離職率のイメージ。

会社は儲かりどんどん成長しても、
社員にもお客様にも
何故か良いイメージを持てない。



それ以外の求人にも、
何処か暗さを感じる自分には、
行き場がない。
なにも務まらない。
強く立ち向かう心がない。

身体を動かす仕事、
車を動かす仕事、
手先を動かす仕事。
頭使う仕事。


色々あるけれど、
僕には経歴がない。

なんの下積みもない。
誰にも必要とされてない。


現実に押しつぶされて、
逃げる毎日に
また押しつぶされる。



痛風????

登山が趣味だ。

登山の体力をつけるために

町では走ったりもしていた。

 

でも、今は、

時間が有り余っているのに

そんなことをしてちゃいけないと

へんに行動を抑制し

散歩にすら出歩かない引きこもり。

 

家ではだいたい一日一食。

それ以外は自分でも何してるんだろう?というくらいに、

何もせずじっとしている。

 

そんな生活が続いてもうすぐ3ヶ月。

 

 

体重は減った。

ストレスなのか?季節的なもんか?

 

 

でも、筋力は確実に落ちているだろう。

体の代謝も悪いような気がする。

 

 

足の親指やその他の指先や、膝なんかが

なんとなくボヤーッと痛むような気もする。

 

まさか痛風

 

 

 

自分がまさかそんなもん患うなんて、

信じがたい。

 

 

山に行きたきゃ行けばいいのに。。。。

でも、気持ちよく山を楽しめないから

行こうという気になかなかなれない。

 

 

 

自分の生活を整えること。

 

仕事して、

運動して、

飯食って、

ちゃんと寝て。

余暇を楽しむ。

 

 

 

気持ちと体と生活と。。。。

暮らしを整えて、

心豊かに安らかに過ごしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動きが心をつくる──身体心理学への招待 (講談社現代新書)

動きが心をつくる──身体心理学への招待 (講談社現代新書)

 

 

死んだ後って、どうなるのだろう?

死ぬのって怖い。

 

死んだ後のことを考えると

関わってくれた方々への迷惑を考えてしまう。

 

そして死んだ後は自分がどうなるのか?

それが一番怖くて、

死ぬなんて勇気が無い。

 

今すぐ死んでしまって、

何もしなくて良い、何も考えなくて良い。

 

無になれるのであれば、

そうなってしまいたい。

 

 

この先、

歯が抜け、

髪が抜け、

体力が落ち、

肌ツヤはなくなり、

老いていく。

 

それでもなお

必死に生きていくことへの不安。

 

頼るものもなく、

先祖からの託されものを

自分が守りすることもできず、

子孫に受け継ぐこともできず。

 

 

希望も何も無い。

将来がいつも真っ暗だ。

 

 

この先30年も40年も生きる価値があるのか?

 

 

 

死んだ後も多分苦しみは続くんだろう。

 

死に逃げても、同じ苦しみが残って永遠に遠ざかれ無いのだろう。

 

 

宇宙の真ん中にある自分が、

どこに行っても

どんな形であっても、

それが真の宇宙として

自分につながっているんだろう。

 

 

その真の宇宙は普遍的だから、

痛み苦しみ楽しみ嘆きが

永遠にずっとずっと定めのように

ぼくにつきまとってくるんだろう。

 

つきまとうというよりも、

それ自体がぼく自身なんだろう。

 

 

だから死ぬのは怖い。

 

死んでも死んで無いんだから。

 

 

 

今の自分のこの体に託された「生」は

どこに向かうべきなんだろう?

 

 

逃げて逃げて逃げていると思うけれど、

逃げて逃げて逃げた先にあるものは

僕が向かうべき場所なんだろうか?

 

 

首吊って死んだら、

その痛みと苦しみが死後も続くのかな?

 

飛び降りて死んだら、

その痛みと恐怖が死後も続くのかな?

 

死ってなんだろう?

死後ってなんだろう?

 

 

 

死んだ気になればっていうけど、

山に行くことさえできればっていうけど、

少しは蓄えも欲しい、

愛するパートナーと過ごしたい。

 

 

人と関わりたく無い。

でも、人と関わりたい。

 

 

自分の仕事で相手を笑顔にし、

自分の仕事が自分を能動的にしたい。

 

喜び、喜ばれる。

 

 

 

物欲は果てしない。

でもモノは必要か?

 

世の企業のほとんどは、

次に何かを売り込むために

新しい市場を作り続ける。

 

日本のこの成熟しきった世の中で、

新たな市場って

もうなきゃ無いで何も困ら無いモノが多い。

 

これって本当に必要なんですか?

 

 

僕はそういう考え方だから、

その消費活動に加担しきれ無い。

 

本気で売れ無い。

転職活動において、

いつもそれがネックだ。

 

冷めてしまう。

 

この会社のこの事業

本当に世の中に必要なのか???って、、、、

 

 

そりゃ、どんな会社も、どんな仕事も、

みんなそれを通して社会に貢献している。

 

みんなが働いてくれているから、

僕は今ここでパソコン叩いて引きこもっていられる。

 

 

日本という国の経済活動の恩恵を

どっぷりと戴きながら毎日暮らしている。

 

 

僕にそれを否定する権利など微塵も無い。

 

やることやってから意見を述べろ!

 

 

引きこもって、

なんの生産的活動もせず、

社会的責任を果たせ無い奴は

黙って引っ込んでいなくてはなら無い。

 

 

 

働かなきゃ。

なんでも良いからとはいかないけれど、、、、

 

でも、選んでいられる立場でも無い。

 

 

 

仲間と同じ志を共有し、

世のために微力でも貢献し必要とされ、

お客様の幸せを創造し、

提供する側もその事業を通じて成長できる。

 

 

夢のような話、

子供じみた絵空事。

 

 

成長しきれない中年オヤジこども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピーター・パンシンドローム―なぜ、彼らは大人になれないのか (ノン・ポシェット)

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もう嫌だ、、、人生を全てをリセットしてしまいたい

近頃、自分の生い立ちを全て後悔してる

 

大学進学をもっと熟慮しておけば、、、

学生生活をもっと充実させていられたら、、、

就職をもっと考えて動いていたら、、、

 

 

最初に入った会社で今もずっと働いていたら、、、

 

 

 

僕はこれまで好き勝手に

何も考えずに生きてきた

 

そこにはまやかしの自由があった

 

年収は300万そこそこがずっと続いた

 

 

もし、最初に入った上場企業に

ずっといたら生涯年収は3倍は多くなっていただろう

 

退職時にもらえる退職金や

老後にもらえる年金や、

全てにおいて安心できただろう。

 

そんな莫大な損失があることになんて

考えも及ばずに楽な方へと逃げていたんだ

 

 

ほんとうに見事なアリとキリギリスの物語だ

 

 

たらればだから、なんとも言えないが

まずそんなに大きくは外れていないだろう。

 

 

莫大な損失の上に自分が得たものはなんだろう??

 

日本一周もなんの得にもできていない。

長野や栃木で暮らした生活もなんのプラスにもなっていない。

結局、地元に戻り実家に暮らしマイナスからの再スタート。

 

 

でももう、マイナスから逆転できるほどの

パワフルさもバイタリティーもありゃしない。

 

 

いろんな職を経て、

いろんな人と知り合って、

結婚もして、

いろんな風土を経験しても、

自分の人生に活かす術を知らないから

ゼロはゼロにしかならない。

 

 

ゼロから1を1から10を作れる人間だと

そう思ってきたけれど、

なんの根拠もなく

なんのアクションも起こせず、

なんの結果も示せないで

いまここで消えかけている。

 

 

自分のタレントを

どこででもめいっぱい発揮できていたら、

これまで生活したその場で

みんな引き留めて

僕の居場所を作ってくれたかもしれない。

 

 

でも、僕がその職場を去るときには

みんな遠巻きに見て見ぬ振りをするようだった。

 

誰も残念に思う人などいない、

一人寂しく必要とされていなかったんだなって

痛感して身を引いた。

 

 

得意先や業者さんや、

その土地の友達なんかは

とても残念がってくれたけれど

外面がよく、内に評判が悪かったのかもしれない。

 

それも自分の実力だ。

 

 

何をやっても身勝手で

何をやっても独りよがりで

何をやっても結局うまくいかない。

 

 

社会不適合者を実感する。

 

 

 

 

 

全てをリセットして、

もう終わりにしたい。

 

ゲームオーバーだ。

 

 

 

進学、就職、退職、老後、、、、

人生設計において、

だれとも相談できず、

10代、20代のはな垂れ小僧が

ばーーーっと勢いで生きてしまって、

その着地点がここなんだ。

 

自立できずに、

ここに着地して

妻も子供もいなくて

ひとりで禿げて

眠りこけてる。

 

 

 

 

こんな人生は、もう要らない。

 

ひとりで寂しくのたれ死ぬのを待つのみの人生。

 

要らない

要らない

要らない

 

 

そんな時間をただ耐え過ごしながら、

安い給料で志もなく働く。

 

みんなそうやって頑張ってるんだけれど、

ぼくは根性が腐っているので

そんな人生が耐え難い。

 

 

 

 

なんなんだこのクソ人生。

愛するものも

金も

楽しみも

なんもない毎日。

 

 

なくなってしまえ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[完全失踪]で人生リセット! ~煩わしい現実を捨てて、人生をやり直す手順

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今日もグダグダ、、、生きてることがグダグダ

今日も朝からグダグダだ。

クズの一日だ。

明日に向かって生きる?

明日も何もない暗闇だもん。

 

彼らは山に行った。

また、彼らは今日から仕事。

 

僕は今日も身動きが取れないクズ。

このゴールデンウィークも、

なんのアクションも取れないクズ。

 

仕事辞めてもうすぐ3ヶ月。

なんの変化も遂げられないクズ。

 

大学出てから、今まで何の積み上げもないクズ。

 

いや、43年間生きてきて、

なにも努力も進化もできなかったクズ。

 

悩んでるだけで、

なんの努力もできなかったんだ。

 

 

その都度なんとかした気になって、

じつは自分の力なんて何も及んではいなくて、

親に助けられて、

自立もできなくて、

その結果が

この情けなくも何も残らぬ

この人生。

 

消えて無くなっても

誰も困らない

何も背負うものもない

薄っぺらい

アホみたいな生き方。

 

逃げて逃げてごまかして、

自分にも周りにも嘘ついて

明日を決められず

誰かにすがり頼りなすり付けて

自分は痛い目に遭わないようにしてきた。

 

そして今、その仕返しを一気にくらい

落ち続けてる。

 

生きるのって、こんなにもつまらないんか?

こんなんなら生きる意味ってあるんか?

 

 

将来どころか

明日も見えない。

 

1時間後だって、何したらいいのかわからん。

 

 

職に就いたって

たいして稼げない。

 

ただ日々食べるのに足りるかどうかだ。

 

家族持って

車持って

家建てて

子供を学校かせて、、、、、

育て上げて、、、、、

 

 

そんなの夢のまた夢だ。

そしてもう43だし。

 

 

困っても

本当は

だれも助けてなんてくれない。

 

さーーーーっと、

波が引くように

誰もいなくなる。

 

 

そしての取り残されて

独り静かに壊れていく。

 

 

いなくなってもいいよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球で生きている ヤマザキマリ流人生論

地球で生きている ヤマザキマリ流人生論

 

 

 

 

 

今週のお題ゴールデンウィーク2015」

国民が幸せを感じられ無い日本の仕組み

呑み。
笑った。
久々に涙出るくらい笑った。

一方、
原発のはなし。
憲法のはなし。
親の老後のはなし。
ちょっと真面目にも語った。


そして、
仕事の話。

突き詰めて、
仕事観のはなし。

年収が一千万を超えるような仕事をしてても、感じる虚しさ。


この仕事は、
世の中に
必要なものなのか?

僕が資本主義に感じる矛盾や儚さを、
彼は仕事の中に感じてた。

僕はクーラーを使わ無い。
僕の部屋は夏場になると暑い。
その暑さは、
ただ気候のせいだけではなく、
どこかのうちで
ガンガンクーラーつけるから
その室外機から吐き出される熱風のせいで、
僕の部屋が暑いのだ。

みんなで一斉に
クーラー使うのやめたら、
この部屋の温度も
確実に下がるんだ。


でもそんなことしたら、
日本の国民総生産の値は
ガタ落ちするだろう。

経済的な価値が
最優先される
日常。。。

そこを突き詰めても、
だれも幸せを感じてい無い。

なのに何故、
国も
人も
それを至上的に捉え、
経済を最優先するのか?


ハイブリッドカーは、
本当にエコなのか?
地球環境負荷
うちのポンコツ車より
高くはないのか??

燃料電池車を推進するために
水素インフラを整えるのは、
本末顛倒ではないのか?

コンビニレジ横のガムに
真の消費はあるのか?




売り上げを上げつづけていかなくてはならない前提と、
必要十分な生活とのギャップ。


要らない人の生活に
押し売りのよう
商売する日本経済。




とりとめないから、
寝てしまおう、、、、